臨床支援AIと離島・へき地医療の可能性について 前編

この度、MedGen Japanさんとの共催企画として、医療資源が限られている離島・へき地において、幅広い疾患への対応が求められる医師にとって「MedGen Japan」などの診療支援AIが、今後の診療や研修などに大きな変化をもたらすのでは無いかと考え、離島・へき地で働いている、あるいは働いたことのある先生へのインタビューを実施し、現在地についてお話を伺いました。

Medgen Japanとは
日本の医師のためのAIアシスタント「MedGen Japan」は、医師の臨床の疑問に対し手作業で1時間かかる調べものを1分で完了、確かなエビデンスを届ける次世代診療支援AIです。

1. 国内外の論文に加えて、「日本の臨床」に合わせてガイドラインや公的文書も検索

2. 数百名の医師から学習したモデルが、信頼できる文献を元にハルシネーションを防止

3. 文献のエビデンスレベル・ジャーナルの影響度など、AIによる文献の選別理由を表示

へき地の先生方にも多くお使いいただき、1人/少人数で幅広い領域を診られている先生方が安心して臨床に向かえるようサポートします。

下記リンクより、今すぐ無料でご登録・ご利用いただけますのでぜひお試しください!

https://medgen.nihinmedia.jp


今回は2名の先生にお話を伺いました。現在(2026年4月)も離島診療に従事される屋久島の永田へき地出張診療所の福留琢哉先生の記事はMedGen JapanさんのNoteを参照ください。

ゲネプロでは卒業生であり都市とへき地、海を越えて熱帯医学にも取り組まれた松原祥平先生のインタビュー記事をお届けします。

じゃあもう、思い切ってセッティングをがらっと変えてみるか!

松原先生のご出身や、これまでのご経験や診療科、プロフィールを伺ってもよろしいでしょうか。

キャリアの変遷があるので短くまとめるのが難しくなるんですけど、出身は東京で、祖父が東京の羽村市で開業しているというバックグラウンドとして身近ではあったんです。
それ以外ではおそらく高校生の時にテレビで『国境なき医師団』のドキュメンタリーを見たときに「かっこいいな」って思ったのが、一番の後押しになったと思ってます。その前後に『Dr.コトー』もドラマか漫画で知り、「あまり医療のないところで働いている人たちってかっこいいな」と感じ入った記憶があります。

「医療の少ない地域に医療を届けよう」という思いが当時からあったということですね。

ですね。その後杏林大学を卒業し、初期研修は沖縄の那覇にある大浜第一病院でお世話になりましたが、よくある話で学生時代には「夢」を持っていたとしても、周囲に流されるように、段々と夢を忘れていました。

初期研修を沖縄にした理由は?

関東から出たかったというのもありましたが、沖縄は初期研修の教育がしっかりしている割に、一部を除けば、初期研修の志望倍率が低いという話もあり見学に行ってみたのですが、教育がしっかりしているなと実感しました。それで2年間、沖縄に行くことに決めました。

その2年間の経験を踏まえて大まかに「内科系かな」とは道筋をつけてはいたんです。
そこから「実際に何科に進むか」が決めきれなくて、当時はオンラインでの勉強会もなかったので、「最先端の医療から遅れているのでは?」というおぼろげな不安も抱いていました。(実際はそんなことはなかったのですが)

ですから、神奈川県川崎市にある川崎病院という713床の、ある程度すべての診療科が揃っている病院の総合内科で後期研修を受けることに決めました。総合内科は「鑑別診療を頑張る」というよりは、「一内科制でどんな内科の入院も総合内科が主に診ます」というところだったので、鑑別診断はあまり得意ではないです。その分、入院や外来を幅広く受け入れるという診療をしていました。

おかげで色々なことができるようになったのは理想的でしたが、その診療の幅を今後アップデートし続けるというのはちょっと厳しい。やはり「専門」という明確な「武器」があるのはいいなと感じまして、色々と悩んだ結果、同じ病院に居ながらにして、消化器内科に軸足を移す形で専門医を取りました。
専門医を取る間に1週間ほど、ジャパンハートという団体を通じてカンボジアに行きました。後期研修中は緊急内視鏡をやって、内科の入院を診て、抗がん剤もやり「俺は最強だ」と、天狗になってたのかもしれません(笑)
医師6、7年目ぐらいですかね? ちょうどそんな時期に1週間ほど行ったんです。

ずいぶんと思い切られましたね。

行くまでの本心は「自分には無理かな。凄い人たちがやることだな」みたいな先入観というか諦観も正直ありましたので、ずっとその意志を絶やさず持ち続けられた訳ではないんです。

カンボジアでは、小児も外傷も、ほんと全然何にも診られなかったので、心を折られました。
「あくまでセッティングが整ってたから自分は診れていたんだ」っていうのに気が付いたんです。その後川崎病院に戻るのですが、小児や外科系、Drコトーについて考えていたタイミングで、ゲネプロのことをメーリングリストで知りました。すぐに面談に申し込んでみたところ、あれよ、あれよという間に研修に参加することになったんです。

カンボジアから戻られて高知への間隔はどのぐらいのものでしたか?

確か2年弱だった気がします。

その期間における決断の過程、例えば「いついつまでにこれを勉強して、いついつまでにこういったことに挑戦しよう」みたいな、マイルストーンのようなものはあったんですか?

それはありませんでした。最初のカンボジアには1週間行った訳ですが、「ちょっともう二度と行きたくないな」と思いましたね。
現実に全然通用しなかった(笑)たった1週間だけだったのに(笑)
「何かもういいかな、っていうか無理だな、自分には」みたいなモードに入ってました。
しかも、その当時の勤務環境的に「自分の進路を変えよう」という気持ちが、すぐに薄れていってしまったんです。でも、急性期病院で毎日忙しく働く中で、このまま定年まで働くのも素敵だが、後から振り返って人生やり切ったと思えるか?という思いも出てきました。そこで思い切って「セッティングをがらっと変えてみるか!」と思い立った結果、ゲネプロと出会いました。
なのでカンボジアの再チャレンジも「ずっと秘め続けていた熱い想いに駆られて」みたいな話なら格好いいですが、実は「ゲネプロ(大井田病院)で鍛えられたし、もう一回行ってみたら今度は通用するかも」みたいな(笑)ちょっと腕試しの修行感もありました。
あ、これマズかったらカットしちゃってください(笑)

カンボジア 1回目で歯が立たなかった時

宿毛市の地域性や人口、大井田病院の規模を教えてください。

宿毛市は、もう本当に四国の地図の一番左端にあるところで、最寄りの空港からは車で2時間半くらい、かな。松山空港(愛媛)から行っても高知龍馬空港から行っても、それぐらいの距離がある地域ですね。

大井田病院は50床(地域包括ケア病床、他に介護医療院43床)の病院で、診療科は内科と外科しかないです。在籍している医師の人数も、内科・外科・小児科で合わせてだいたい5人前後のところです。
ただ、近くに幡多けんみん病院(355床)という、中核病院がありますが、そこを超えると高知市まで大きい病院はない地域でしたから、困ったときには幡多けんみん病院に送るセッティングでした。
人口は17,876人(2026年4月1日時点)※2です。

宿毛のだるま夕日

また、宿毛市には沖の島という、人口が100人くらいの離島がありました。

島には常駐する医師はなく、看護師だけがいる島です。

ただし可能な範囲で平日は毎日誰かしらが診療応援に行く体制をとっていて、大井田病院からは月1回程度、私も1、2ヶ月に1回診療応援に行って、離島医療を経験する環境もありました。

沖の島 港からの風景

診療面では、地域性を感じることはありましたか?

元々が外科系の病院で、院長も外科・救急上がりだったこともあり、外科外来の患者さんが結構多かったです。なので、内科に関しては大きな変化はなく生活習慣病などの患者さんが多く、外科外来では巻き爪とか骨折、あとは各部位の腫瘍が多かったです。外科系の研鑽をするにはすごく恵まれた環境で、色々な経験を積ませてもらいました。

Drカーでの現場出動の様子

これまで研修されていた大浜第一病院や川崎病院と比べた時に、何か「ここは違ったな」といった部分はありましたか?

医師8年目に行きましたが、臨床面では内科や内視鏡診療は継続しながら小外科や整形外科、小児科などの診療と勉強をさせてもらいました。
そもそも診療科単位の診療範囲が違っているので単純な比較が難しいですが、やはりそれまでは内科の専門家が同じ病院内に居たので、専門家が存在していなかった点は、大きな違いでしょうか。
なので、自分の専門以外も、相談や紹介するのではなく、ある程度自分ひとりでやらないといけないのも、それまでとは違っていたように思います。
ただ、内科はそれまでに比較的広く勉強をしていたので、そこまで困ったりせずに済んだのは幸いでした。むしろ、外科系とか小児科に関しては今まで診療してなかったですし、他の病院で産婦人科の勉強もしましたが、それまでまったくやってなかった科のことは、やはり難しかったです。

宿毛のイカ釣り

そういう時の、対処法は?

運のいいことに、外科出身の院長が本当に何でも診られるジェネラリストでしたので、ひたすら院長に相談しまくりでした(笑)

あとは、当時まだAIもなかったので、教科書を開いて調べるとか知り合いに尋ねるとか、そういった地道な努力で何とか乗り越えた感じです。

診療されていて一番大変だったこと、逆にやりがいを感じたり、楽しかったことって、それぞれどんなところですか?

やはり慣れない科の診療を始めたことはすごく大変でした。
大変というか驚いたという意味では、都市部とは患者さんの職種が違いました。
例えば、農家の方だと「あの、その日は畑仕事があるから来られないよ」とか、漁師の方で「海に出てるから数ヶ月に一回しか受診できない」だとか、そういう患者さん都合がよくありました。

都会的に考えると、どうしても「病院には仕事を調整してくるもの」というスタンスになってしまいがちだと思うんですが、流石に「その日は海で船に乗ってる」なんて言われちゃうと、「確かにそれはどうしようもないか」みたいに思わされました。
いわゆる「お医者様」的な振る舞いというのはやはり違うなと。患者さん一人ひとりの、その人の生活に合わせた個別の配慮をするのが大事なんだな、というのが一番宿毛で痛感したことです。

一方やりがいに関して言えば、とにかく人が少なかったので、「自分がやらなきゃいけない」という当事者意識は持ちやすかったと思います。

都会にいたときには、「自分がやらなくても、結局誰かが診てくれるだろう」みたいな気持ちがどこか薄っすらとありましたが、例えば出張や当直明けで他の先生方がいない時に「今日これをできるのは僕しかいない、やるしかないんだ」みたいな状況がよくありました。
そういう部分は大変ではありましたが、やりがいになっていたと感じますね。

また、大井田病院は、医療MaaS(Medical Mobility as a Service)にも取り組んでいて、へき地にも関わらず先進的で。おかげで色々な経験もできたので、勉強になりました。

思い描いていた『Dr.コトー』と「ここは違った」みたいな点は、ありましたか?

意外に難しい質問です。というのも、離島には月に1回しか診療に行かなかったんです。
その少ない経験の中でも高知にいた3年間で2回はドクターヘリや船で搬送する経験をしました。
その時は島に本当に僕しか医師がおらず、ちょっと『Dr.コトー』感がありましたね。
利用できる医療資源が少ない環境に、キャパシティを超える症状の患者さんが来ると大変、というか大事になってしまうことを痛感させられました。
逆に「思っていたのと違った」という意味では、「院長がいつでも(それこそ夜間でも)電話等で困った時に相談に乗ってくれたので、目の前の患者さんが死んじゃうかもしれない。でも、ここには僕しかいない」という、本当の意味で逼迫した状況には幸いにも陥らなかったんです。
中核病院まで救急車で10~15分で運び込める近さですし、何かあればドクターヘリも来てくれるし、そういう意味で、とんでもない冷や汗をかくという経験はしませんでした。

沖の島での最後の診療

その後のキャリアはどうされましたか?

ゲネプロの研修は1年で終えましたが、1年間の研修を終えると3ヶ月、国外や国内で自分の興味ある分野にサポートを受けながら研修できる仕組み※1があり、それを利用して長崎大学の熱帯医学研究所に3ヶ月間ほどお世話になりました。
3か月の研修後もまだ大井田病院で学びたい事がありトータル3年間在籍した結果、トラブルシューティングから独り立ちまでできるように、というところまで勉強をさせていただきました。
その後は、ジャパンハートのカンボジアに1ヶ月間再チャレンジをして「卒業試験」を勝手に一人でやってみたところ、ある程度の手応えを感じられました。

勝手に卒業試験、面白いですね。

その後は羽田空港の検疫所で2年間、勉強の機会を得ました。
そこでは長崎大学で蓄えた熱帯医学の知識を実際の現場で使う経験や、国レベルで感染症から人を守る経験、行政の仕組みなど色々なことを学びました。

ただ、最終的には実家の病院を継承したいので、今回セッティングを臨床に変えて、いま働いている、多摩ファミリークリニックでお世話になることになりました。

ここは、家庭医の医師たちが集まったクリニックで、「臨床の勘を取り戻すため」というのもありますが、「外来や訪問診療を都会ではどういう風にやればいいのか」を勉強するために2025年に入職して、もうすぐ1年が経つという状況です。

コミュニケーションの本質って都会とへき地とでそう大きく変わるもんでもないのかなって

都市とへき地を行き来して共通点はありましたか?

へき地を経験した後に都市に戻ったことで、むしろへき地との共通点を感じてます。
「へき地に住むと患者さんとの距離が良くも悪くもすごく近くなって……」という話がよくあります。実際、それは宿毛に来てすぐの頃には感じていたんです。

でも現在自分自身が勤め先のクリニックのすぐ近くに住んでいるんです。そうすると、その地域にずっと住んでる人たちとは、地元のいろいろな話でよく盛り上がるんですよ。

それに都会に住んでいると、つい“へき地“に対して何となく線引きしがちですが、実際にはそんな「線」なんて一方的で、勝手な思い込みでしかないことも気づきました。
都会だろうとへき地だろうと、「ただそこに生まれたからそこに住んでいるだけ」という話でしかなくて、コミュニケーションの本質は都会とへき地で、大きく変わるものではないと思います。

そのことにへき地から帰って気付いたのは、自分が都会にいたとき、患者さんに地元の話を語り掛けず、そもそも興味を持てなかったから見落としてただけで、本当はどこに居てもそういったコミュニケーションは存在していたんだな、と腑に落ちたのは1つの大きな発見でした。

(後編へ続く)

※1『Rural Generalist Program Japan(RGPJ)』の「エレクティブ研修」のこと。離島やへき地での12ヶ月間の研修後に最大3ヶ月間まで、国内および国外にて任意の研修参加へのサポートを受けられる。

※2 令和8年宿毛市人口推移表https://www.city.sukumo.kochi.jp/docs-05/44697.html

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