【連載】「あの医師」探訪記 vol.6 ―湊 しおり先生―

 

前回、晴れて五回目を迎えた「あの医師」探訪記だが、次の節目に向けた第一歩目となる今回の “主役” は、千葉県銚子市にある島田総合病院にて活躍されている湊しおり先生

 

Rural Generalist Program Japan(RGPJ)の第三期生として同病院に着任して以来、病院内にとどまらず、地域をも巻き込んでの精力的な取り組みを続ける湊先生には今回、その辺りについても色々とお話を伺うことができた。

 

 

 

 

朗らかに産婦人科外来を行う湊先生

 

 

 

本心としては、早速 “そこ” に切り込んでいきたいところではあったのだが、私ももういい大人なので逸る気持ちを諫めつつ、まずは恒例の「先生の経歴」について教えていただくことにした。

 

 

 

2012年広島大学卒の医師8年目です。ドラマのERにあこがれて救急医を目指し、卒後は青森県の八戸市で初期研修を行いました。

 

紆余曲折というか、ジェネラルに診るということの壁の高さに挫折して、1番ジェネラルで無くても良さそうな整形外科を選びました。失礼な研修医でした。

 

 

後期研修は青森より都会に出たいという思いがあって、東京と大阪で迷いましたが、どちらもよく知らず、決め手にかけたので、間を取って名古屋に行くことにしました。

 

田舎者なので、新幹線の止まる駅のそばが1番すごいという思いがあったのですが、名古屋市内の病院は意外と名古屋駅にアクセスが悪いことに気がつき、名古屋駅からのアクセスがよく、総合病院で、整形外科の後期研修医を募集している病院を検索し、名古屋と岐阜の中間地点の一宮市の病院に勤務しました。

 

 

医局には属さなかったのですが、上司のご縁で(整形外科専門医取得には2施設以上の施設での研修が必要なので)愛知県と長野県の県境にある山間地の病院でも1.5年ほど勤務しました。

 

その後は、整形外科専門医を取得し、島田総合病院で働く現在に至ります。

 

 

 

今や、ジェネラリストを養成するための研修プログラムに参加しておられる湊先生のスタート地点に、「ジェネラルに診る」という行為への挫折があるというのは、何とも興味深い。

 

 

それだけに、いつどのような切っ掛けがあって挫折を克服し、現在の方向性へと舵を切り、またゲネプロの研修プログラムに興味を持つに至ったのかは、実に気になるところだ。

 

その経緯についても、率直に伺ってみた。

 

 

 

初期研修~後期研修の1施設目まではいわゆる急性期病院に勤務していました。医療は病院で完結するものだと思っていましたが、山間部の病院で働いた時に、医療は地域ぐるみで行うものだと思いました。

 

病院を出て予防から行うとか、自宅や家族を見て患者さんを知るとか、病院から地域を元気にできる可能性みたいなものがあると感じて、それがすごく私にとっては魅力的でした。

 

 

一方で、内科も含めた当直業務を行ったり、整形外科の患者さんも都心部より高齢なので、内科的な合併症を起こしてしまうことが多くありました。大きな病院みたいに、自分の専門ではないからと線を引くことはできない環境でした。

 

その際に、自分の医者としての実力不足を痛感して、自分自身が患者さんの不利益になっている可能性に思い至りました。もっと実力をつけたいと思いました。

 

 

 

なるほど。最初にぶつかった壁を乗り越えることができたのは、医師として経験を積んだが故に見えてきた「己の実力不足」という、また別の壁にぶち当たったおかげということのようだ。

 

しかしながら、新たな壁に行く手を阻まれてからの湊先生の行動は何より、早かった。

 

 

 

そんなときに「地域医療、内科、やり直し、プログラム」(だったと思いますが)で検索したところ、親父の背中プログラムに行き着き、さらに齋藤先生のメアドを発見しました。いてもたってもいられず、すぐにメールを送りました。

 

メールにもいてもたってもいられずと書いたところ、すぐに面接が決まりました笑。

 

 

 

居ても立ってもいられずに実行に移せる行動力は、間違いなく湊先生の強みだろう。

 

現在、島田総合病院にて先生の主導で実施されている様々な取り組みが、成果を挙げ始めている大きな要因の一つを、その姿勢に見た気がする。

 

 

それにしても、ゲネプロ代表の齋藤先生も「即断即行」の人だが、「居ても立ってもいられず」と書かれたメールを受け取ったら、それこそ「居ても立ってもいられず」に会いに行く先生の姿が目に浮かぶようだ(笑)

 

 

 

 

手術に臨む眼差しは真剣そのもの

 

 

 

さて、湊先生がジェネラリストへの道を歩み始めた経緯についてはよく理解できたが、では一体なぜ、数ある選択肢の中から島田総合病院を研修先として選択したのだろうか。

 

実際に半年以上を過ごしてみた上での印象と併せて、湊先生にお話していただいた。

 

 

 

僻地で働きたいとは思っていましたが、ネットショッピングの頻度が高いので、離島は送料が高くなるので地続きが良いなと思っていました。

 

なので、病院自体の参加前の印象というのは、実はあんまりなかったりします。強いて言うなら、整形外科に妊婦さんが来るといつも困っていたので、産婦人科も診られるならラッキーくらいのノリでした。

 

 

初めて見学したときに、お酒の席で「島田で働きます宣言」をしてしまいました。そういうのは破ってはいけないと思っているので、そのまま有言実行で銚子に移住しました。

 

 

 

実際に働き初めてからの印象としては、コメディカルの力量半端ない、ということにつきます。

 

「私ばっかり大変」と感じてしまうと、とたんに仕事は辛くなりますが、島田の場合、周りを見渡せば、常に私より大変なコメディカルがいます。なのに、みんな医者を立てようとしてくれます。何かをしようとして、看護師さんからNOがでることもまずありません。

 

 

島田にきて、いらつくことや怒ることは激減しました。島田では私の机がある医局に出入りするのは院長を含めた4人の医師と研修医ですが、だいぶわいわい楽しい雰囲気の医局です。

 

私の苦手分野は沢山ありますが、常勤非常勤含めて、他の先生に相談に乗ってもらって解決しています。顔が見える関係なので相談もしやすいし、テンポ良く進められて助かります。

 

 

 

当初、研修医の指導も仕事と言われて、かなり怯えていましたが、実際には研修医に助けてもらって仕事をしている感が強いです。

 

それと、職員からは地元のイベントにお誘いがかかるのですが、地域とのつながりができるので顔見知りが激増します。気まずいこともありますが、基本的には楽しいことが増えている気がします。

 

 

 

勿論、湊先生を取り巻く現在の状況は、先生自身の気質や努力に依るところも大きいのだろうが、話を伺う限りでは、島田総合病院の風通しは良く、医師にとっても非常に働きやすい環境が整っているようだ。

 

だからこそだろうか、病院について語る先生の口ぶりからは、大小様々な課題に苦心しながらも充実した日々を送ることができている様子が窺えたほか、一緒に働く仲間たちをとても信頼している印象も強く感じられた。

 

 

 

 

病院の仲間たちとの楽しい一時

 

 

 

湊先生が島田総合病院に着任して以来、かなり幅広い取り組みを行ってきたことについては前述した通りだが、その背景には、この「風通しの良い協力的な環境」があったということなのかもしれない。

 

そんな確信めいた予感を胸に抱きつつ、今回のインタビューにおける “本題” とも言える「これまでに湊先生が取り組まれてきたこと」について、満を持して話を伺ってみた。

 

 

 

日常のdutyの部分としては、内科外来2枠ですが、産婦人科は1ヶ月外来を見学した後、5月くらいから外来を1枠行っています。帝王切開も執刀させて頂いたりしています。

 

産婦人科に関しては、研修医以来で心臓バクバクですが、助産師さんも熱心に指導してくださるのでとても面白いです。内視鏡も半年掛けて、なんとか一通りのところまでたどり着きました。

 

 

他に、個人的な思いつきでいくつか始めたことがあります。上手くいっていることばかりではないのですが、最初に始めたのは集団リハビリです。

 

スタッフの人手が足りないので、患者さんの離床を進めるために、スタッフ1対患者さん5くらいのコスパのよいリハビリをしたら良いんじゃないかと思いました。

 

 

ところが、患者さんが超高齢の方ばかりで、耳が遠すぎたりなんだりで、結局1対1のリハビリよりさらに人手がいるということに・・・笑。

 

でも、リハビリスタッフだけでなく、病棟スタッフも積極的に参加してくれてとても嬉しかったです。リハビリについては、現在、新規案を検討中です。

 

 

 

もともと整形外科として働いていたときから骨粗鬆症やロコモティブシンドロームに興味がありました。上司と一緒に、運動器教室などを行っていた経緯もあるのですが、内科で働くようになったら、整形外科の患者層より更にロコモティブシンドロームやフレイル、サルコペニアの患者さんが多いことに気がつきました。

 

普段の外来以外で、自宅でできる寝たきり予防などについてだけ、みっちりと説明する機会が欲しくて、8月から「コツソ・ロコモ外来」を開きました。

 

予約制にしなかったことも一因だと思いますが、最初の2ヶ月で患者0記録をたたき出してしまい、患者さんを呼ぶために「今日からできる100歳まで元気な体作り」と題して講演会を開きました。その後は徐々に外来にも患者さんが来て下さっています。

 

 

 

正直、島田に来たときに、もう手術は卒業のつもりでいました(実力的には中退かもしれませんが)。でも、この地域柄、大腿骨頚部骨折を受けられる病院が銚子にあるかどうかが救急隊を含めた大きな問題だと気がつきました。

 

銚子の救急隊と連携して、島田でも頚部骨折を受けられる仕組みをつくり、可能な範囲の手術を始めることにしました。

 

 

まだ数える程ですが、人工骨頭挿入術を実施することができていますが、できない手術も多いので、受け入れして転院ということが多いですが、救急隊が市をまたいで患者さんを搬送しないといけないというパターンを減らせているのでは?という希望的観測です。

 

 

 

「予想以上に幅広く、想像以上に精力的だった」というのが、話を聞いた率直な感想だ。取材をする前から「幅広い取り組みをしている」とは耳にしていたが、驚きと共に簡単に想定を上回られてしまった。

 

しかも口ぶりから察するに、今回話してくださったもの以外にも、多くの成功あるいは失敗に終わった取り組みもありそうな様子だ。

 

 

 

 

集団リハビリでの一幕

 

 

 

これが、「数年間もの時間をかけて取り組んできた成果」だと言うならばまだしも、「着任して一年にも満たない期間での成果」というのだから、驚かざるを得ない。

 

何故、そんなことができたのだろうか。その問いに対する湊先生の答えはとてもシンプルで、また納得の行くものだった。

 

 

 

上記のような思いつきは、だいたい看護師さんや渉外のスタッフに相談してみます。そこで反対意見がでた場合は、再検討と思っていますが、反対されたことがありません。

 

その後、院長や理事長にもお話をして、ここでもNOとは言われたことがないので、すんなり、翌週にでも思ったことが開始できるような状況です。

 

 

スタッフみんな距離が近いので、私のような思いつきで動きたがるタイプにはもってこいです。ひとえに、環境要因です。

 

 

 

苦労したというか、上述の集団リハビリのように、蓋を開けてみたら上手くいかないことはありますが、また検討してチャレンジすれば良いので困っていることはありません。

 

注意しているのは、誰かにだけ負担がかかるものにはしないことと、もしくは私がいないと継続できないものにはしないようにということでしょうか。

 

 

 

「やってみたいと思ったことは、とにかく『やってみたい』と積極的に周りに発信する」。「失敗を恐れずとにかくやってみて、たとえ失敗したとしても問題を修正して再び挑戦する」。

 

その単純明快な姿勢は、まさに「言うは易く行うは難し」だろう。「やってみたい」と発信することまでは誰にでも出来るかもしれないが、実際に周囲を巻き込んで行動に起こし、またそれを持続させることは、決して容易いことではない。

 

 

 

 

大盛況の講演会

 

 

 

「ひとえに、環境要因です」と朗らかに語る先生の口ぶりには、協力的な周囲に対する深い感謝の念がありありと浮かんでいたが、そういった協力的な環境に恵まれたのも、「言葉にした以上は実行する」という湊先生の誠実な責任感あってこそのように思われる。

 

「前から引っ張る人」と「後ろから押してくれる人」という二つの “歯車” が、とても上手く噛み合いながら回っているのが、現在の島田総合病院ということなのだろう。

 

 

 

ぜんぜん、まったく、なんにも足りている部分はありません!ジェネラリストなんておこがましいです。げげっとか、わーーーとか、そんなことばっかり思っています。

 

ただ、私の傾向として、常に体当たり感というか、でたとこ勝負なので、きちんと知識を身につけていくことが必須だなとは思っています。

 

 

特に切羽詰まったところでは、集中治療的な知識をがーっと吸収したいです。

 

 

 

そんな良い流れの中にあるように見受けられる湊先生だが、ジェネラリストとしての自身に対する課題や不足などについて尋ねてみたところ、どうやらまだまだ現状に満足してはいないらしい。

 

着実に結果を積み重ねながらも、「ジェネラリストを名乗るなんておこがましい」と謙虚な姿勢を決して崩さない湊先生を見て、ふと先生にとっての「ゴール」とはどこに設定されているのか、強く興味を惹かれた。

 

 

最後に、そのことについて質問してみた。

 

 

 

たぶん、この問いの答えとしては不正解ですが、私は人に好かれたいというのが常にモチベーションになって働いています。

 

なので、みんなに好かれる医師というのが絶対的に理想です。

 

 

みんなというのは、スタッフ、同僚、患者さん、患者さんの家族を含むみんなです。

 

みんなに好かれるためには信頼されないといけなくて、信頼されるためには、仕事をきっちりしないといけなくて、仕事をきっちりするためには、知識とか技術が必要で、と思って働いていますし、これからもそうでしかないと思います。

 

 

今後の目標は、最強に愛される女医です。

 

 

 

「最強に愛される女医」。先生はどことなく照れた様子で口にしていたが、私の心には何とも明快で力強く響いた。

 

いずれ湊先生が「最強に愛される女医」になった時、きっとそれは「最高のジェネラリスト」が完成したということであり、患者にとっても「最高に信頼できる医者」が誕生したということにほかならない。

 

 

 

 

プライベートでも仲間たちと和気藹々

 

 

 

その実現までには、まだ幾つもの困難や挫折が待ち構えているのかもしれないが、きっと湊先生ならば、周囲の仲間と協力しながら一歩ずつゴールに向かって前進し続け、最後には見事に目標を達成してくれることだろう。

 

「自分の想いを言葉にし、その言葉に責任を持つ」ということの大切さを、今回のインタビューを通じて改めて学んだ思いだ。

 

 

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