【連載】「あの医師」探訪記 vol.5 ―青木 信也先生―

2019/10/02

 

各地で離島・へき地医療に身を投じていらっしゃる先生方から、様々な興味深いお話を伺ってきた「あの医師」探訪記も、数えること今回で五回目となる。

 

小さな一つの節目となる今回、「Rural Generalist Program Japan(RGPJ)」の第一期生であり、現在は千葉県の塩田病院にて「総合診療科」の部長として活躍されている青木信也先生にお話を伺える運びとなった。

 

 

すっかり “お約束の流れ” となった「先生の経歴」に関する質問から、今回もインタビューを開始することとした。

 

 

 

塩田病院のHpにありますので、詳細はそちらをみていただいて。

 

簡単にいうと、神奈川県にある湘南鎌倉総合病院というところで、初期研修から救急専門医研修まで6年間お世話になり、主にERの勉強をさせてもらいました。その後に、北海道の松前町立松前病院で、地域医療・総合診療を学びました。

 

 

現在の所属病院のアピールもさらっと織り交ぜる辺り、実に如才ない。私としても、思わず塩田病院のホームページへのリンクを貼らざるを得ないというものだ(笑)

 

 

塩田病院の前にて記念撮影

 

 

それはさておき、青木先生は救急医療のご出身だが、聞けば初期研修および後期研修の研修先に総合病院の救急科を選ばれたのも、「症状や年齢を問わずあらゆる人を診られる医師となり、地域の役に立てる存在になりたい」という想いがあったが故とのこと。

 

どうやら医師としてのキャリアのかなり早い段階から、「総合診療」や「地域医療」への強い関心は育まれていたようだ。そんな青木先生が、次のステップとして北海道最南端のへき地を選ばれたのも、実に納得のいく話というものだろう。

 

 

そうなると、今度は「どこでどのようにしてゲネプロとの邂逅を果たしたのか」が気になってくる。続いて、そのことについて尋ねてみた。

 

 

 

北海道で勤務していた松前町立松前病院の木村眞司先生(当時院長)が、プライマリ・ケア連合学会の副理事長でもあり、ちょうどオーストラリア・ケアンズで開催されたWONCAの前身の学会に呼ばれて話をしに行かれてたんです。

 

 

そして、帰ってきて、「青木先生、オーストラリアの地域医療は、おもしろいよー。勢いがある。彼らは、専門医としてRural Generalistと呼ばれているみたいなんだ。僕たちが普段やっているような医療にとても近いんだけどね。お産とかまでやっちゃうんだよな。」と言われていました。

 

その時に、初めてRural Generalistという言葉を聞いていて、自分が将来的にもやりたい医療にぴったりのワードだなと思っていました。

 

 

そんな中、浅草で開かれたプライマリ・ケア連合学会総会で、1枚のフライヤーに目がとまりました。それが、ゲネプロの「rural generalist program」でした。

 

北海道に帰る新幹線の中で、ずっとその1枚のフライヤーを見ながら、面白そうだなー、あれ?代表の齋藤先生って以前、徳之島徳洲会病院でお見かけした人かも?とかいろいろ4時間考えていました。

 

 

新幹線を降りてから、車を運転していた1時間の岐路は、どうやって妻に納得してもらえるか、プレゼンテーションを考えていました(笑)

 

 

なるほど、強い関心を持って地域医療や総合診療に携わってきた青木先生にとっては、ある意味では「必然的な出会い」だったと言えそうだ。

 

 

それにしても、初めて「Rural Generalist Program Japan(RGPJ)」の存在を知った数時間後には参加の意思を固めていたのみならず、既にその思考は「妻の説得」という実現に向けた第一歩へと踏み出していたというのだから、その決断力と行動力には驚かされてしまう。

 

そんな青木先生は、「RGPJ」の研修先として長崎県上五島病院を選ばれることとなった訳だが、いったい何が決め手となり、どのような経緯で同病院を選んだのか。そして、実際の研修中には、どのようなことを感じられたのだろうか。

 

 

好奇心に逸りそうになる口を宥めつつ、その点について先生に伺ってみた。

 

 

 

私たち、1期生のときには上五島病院か徳之島の病院、さらには千葉県内にある島田病院が選択肢にありました。

 

 

後期研修医の間に徳之島に応援診療に伺ったこともあったため(異なる病院ですが)、どうせなら、違う病院がいいなと。かつ、一年間の離島生活は将来の役に立つと考えて上五島病院を選択しました。

 

それまで、申し訳ないのですが「五島列島」という言葉は、聞いたことはありましたが、まったく知識がなく、上五島病院に決まってから、遠藤周作の小説(沈黙)を読んだり、google検索をしたりして情報収集しました。

 

 

 

上五島病院を選択するにあたり、研修が始まる前に、一度ご挨拶に伺うと同時に当直応援診療をさせてもらいました。

 

離島といっても、北海道のときに勤務していた病院よりも、とても大きな病院で…CTもMRIもある。カテーテル治療も出来るし、手術も結構している。「離島か?イメージしていたDrコトーとはちょっと違うなー」という印象でした。

 

でも、実際に働き始めると、島自体が少し大きく、カバー人口が18000人と北海道のときより多く、ある程度この島で完結しないといけない事情がある。陸続きではないため、台風のときには搬送ができない。島から出たくない住民の方、出にくい住民の方がいる。そのために頑張っている医師たちばかりでした。

 

 

院長始め、離島医療をひっぱっているリーダーたちと、限られた環境の中で、必死に勉強している若い医師がたくさんいました。

 

私自身医師として11年目で参加したこともあり、自分より学年が若い医師たちがたくさんいて、彼らの医療に向き合う姿勢はとても素直で、一緒に働いていて気持ちがよかったです。

 

 

また、看護師の皆様、コメディカルの皆様も、自分たちがこの島の医療を支えているという思いが強く、学ぶことが多かったです。これは、以前に研修させてもらった他の島で感じたこととほぼ同じです。

 

自分たちが頑張らないと!という思いは、離島やへき地に行けば行くほど、コメディカルの皆様もとても強いと感じます。

 

 

「医師としての自分の幅を広げたい」という想いと、「どうせなら自分にとって全く未知の場所に挑戦したい」という想いが合わさり、最終的に上五島への赴任を決意したということのようだ。

 

また、上五島病院で過ごした一年間は、青木先生にとって刺激的で充実した時間ともなったようで、同病院での日々を語る先生の口調は明るく軽かった。

 

 

上五島病院での研修に臨む青木先生

 

 

それはそうと、「医師が慢性的に不足している」というのっぴきならない現実に加え、彼らのような医療への志の高い方々が多く集まるからこそという部分もあるのかもしれないが、「離島やへき地の病院に勤務すると、家族との時間を持つことが難しくなる」という話はよく耳にする。

 

青木先生は、その点で苦労はされなかったのだろうか。

 

 

確かに、難しかったです(笑)

 

というのも、私が研修を始めたときは、自治医科大学出身の先生達や長崎県の医学修学資金を利用している先生がほとんどで、皆さん「医師は、休みも関係なく病院に来るのが普通。」「遅くまで病院に残ってしまうことも仕方がないこと」という中でずっと過ごされていました。

 

私やゲネプロの同期はいろいろな病院で働いてきていたり、ERというバックグラウンドからか、シフト勤務で働く医師がいるということを知っていましたので、やり方を少し工夫すれば、もっと医療者も「Happy」に地域医療を続けることができるのではないかと進言していました。

 

(その後、ずいぶんと変わったようで、患者さんを診るにあたってチーム制になったり、夜遅くまで病院にいてはいけない雰囲気作りが進んでいるようです。)

 

 

私は、当時5歳、2歳、0歳の子供と妻、5人で島に入りました。子供が小学校に入る前がいろいろと動くにはタイムリミットと考えていたので、このタイミングがラストチャンスでした。

 

それまでも、北海道で3年過ごしたりしていましたので、家族の時間は大切にするようにしていました。外科に所属しながら、手術のときはほとんど術中麻酔をさせてもらう生活でしたが、他の先生方にも助けていただき、帰れるときにはなるべく早く帰ったりしていました。

 

 

土日両方とも休みということはなかなかなかったですが、息子とよく釣りに行ったりしていました。夏は、家族で島のいろいろな浜に行って、海遊びをしたり、五島ならではの遊びをしていました。

 

とはいっても、妻は知り合いがいるわけでもなく、1年と期間が短いこと、子供が3人いたことで、大変でした。時間を作って、島から出ることも息抜きには必要でした。

 

 

これは、自分の都合で付いてきてもらっている家族に対して、絶対必要な時間だと思います。そういう家族との時間を配慮していただき、研修させていただいた上五島病院に感謝しています。

 

 

やはり、仕事とプライベートとをどのように両立させるかについては、相応の苦労があったようだ。

 

 

特に慣習的な労働環境の問題については、業種を問わず多かれ少なかれ耳にする話ではあるが、「人手が不足している離島の病院」における医師に掛かる負担の苛酷さは、察するに余りあるというものだろう。

 

それでも、そこで「一年間だけの辛抱だ」とか「慣習的なものなら仕方がない」と諦めてしまわず、少しでも改善の余地があるならそこに向かって努力する姿勢に、出会って間もないながらも私は “青木先生らしさ” を感じた。

 

 

送別会を開いて青木先生を送り出す上五島病院の方々

 

 

なお、上五島病院では、今年三月には第二期生の先生方が研修を終え、現在は第三期生の方々が研修の日々を送っているが、青木先生や同期の先生方が蒔いた “種” は、後に続く仲間たちの代になって着実に芽吹き、実を結び始めているようだ。

 

 

さて、青木先生が蒔かれた “種” が後進たちによって大きく育てられつつあることは分かったが、では、先生自身は上五島病院において、はたしてどのような “実”  を収穫できたのだろうか。

 

その問い掛けに対しては、非常に明快な答えが返ってくることとなった。

 

 

 

これは、なんといっても術中麻酔ですね。

 

今までのキャリアでERで出くわす症例や、慢性期疾患の定期外来、訪問診療などはやってきていました。

 

せっかく一年間勉強をさせてもらった上で、オーストラリアの本場のRural Generalistを見に行くのであれば、将来的にも使う可能性がある知識、手技を学びたい!と思っていましたので、日本のへき地で、ひょっとして必要となるのは術中麻酔の知識、技術かと考えました。

 

 

また、ERと親和性もあったので、一年を通して勉強になりました。

 

初期研修医の時以来の術中麻酔は、薬も少し変わっていたり、モニターも新しい物があったり、自分自身の知識も増えていたりして、新鮮でした。

 

 

かなり明確な目的意識を持って術中麻酔の習得と強化に努められた様子の青木先生。

 

この辺りの「今の自分にとって必要なもの」を取捨選択する能力は、長年にわたる積み重ねの成果と言ったところだろう。

 

 

 

では、日本から遠く離れたオーストラリアの地においては、はたしてどのような収穫があったのだろうか。

 

上五島病院での一年間の基礎研修を終えた後、青木先生は選択研修の舞台としてオーストラリアを選ばれた訳だが、異国の地で過ごされた研修の日々についても話を伺ってみることにした。

 

 

一言でいうと、

 

「圧倒的なシステムでカバーするオーストラリアと個人の努力で頑張る日本」

 

このことをとても感じました。

 

 

どちらが優れているというわけではないのです。どちらも必要なことなのですが、オーストラリアは、「もともと医者がいない。看護師も少ない」という広大な地域をカバーするためにどうすればいいか?というところから始まっています。

 

医者を増やすだけではうまくいかない。医療資源の上手な分配とその代わりの充実した搬送システムや、インターネットをフルに使った遠隔医療、遠隔医療補助が発達しています。

 

 

これは、インフラとして日本もできうることです。医者が足りないから、医者を増やす。これも確かなことですが、医師偏在が進む中で、他のアプローチがあることを肌で感じました。

 

また、オーストラリアでは、専門医として資格を与えるため、地域で働く医師に必要な医学的知識・手技力を明確に提示していました。文化や人種が違うことを考慮しても、自分の今までの経験と照らし合わせて、日本の地域で必要な知識・手技とほとんど変わらないと感じました。

 

このように、学べるところは日本にもどんどん取り入れていきたいと思っています。なるべく大きな力があるところに、発信していきたいですね。

 

 

素敵な出会いばかりでした。GENEPROのおかげで、クイーンズランド州における地域医療のレジェンド先生達とたくさん知り合いになりました。また、皆様家族を大切にされていて、人生の先輩としても学ぶことが多かったです。

 

家族全員で3ヶ月オーストラリア研修をさせていただき、1ヶ月ごとに地域をまわっていました。レンタカーに鍋など調理器具も入れて、毎回プチ引っ越しでした。

 

 

それでも、それぞれの土地でお世話になった家族がいたり、こんなところになんで日本人?というような出会いがあったりして、家族ぐるみで今でも、LINE電話をしたりしています。

 

ある病院で仲良くなった後期研修中の医師から、「ここでの研修が終わったら、ゴールドコースト病院に戻るので、興味があったら院内案内するよ!」といわれて、タイミングよく、都会の市中病院の見学ができたり、いろいろなつながりで、ブリスベン市内でGPとして活躍されている日本人医師のクリニックにも見学にいくことができました。

 

 

医師としてもとても素晴らしい研修ができましたし、家族も3ヶ月間、住むように海外で暮らすという素晴らしい経験ができました。

 

 

例えば、「医療資源としての医師の数や質を高めること」と「インフラとしての医療システムの整備を図ること」とを、地域の実情に即して両輪で進めていくことの重要性に関するお話一つをとっても、先生の眼差しには実体験に基づく確信のようなものが感じられた。

 

どうやら「離島・へき地医療の本場」とも言えるオーストラリアで過ごした日々は、実に多くの気付きや出会いを青木先生にもたらすこととなったようだ。

 

 

オーストラリアの研修先病院にて

 

 

そこでやはり脳裏に浮かぶのは、「青木先生が現在勤務されている塩田病院での診療の日々に、それらの “経験値” がどのような形で活かされているか」という疑問だろう。

 

同時に、各地の離島やへき地を経験された青木先生が、次のステップとして選ばれた塩田病院にも興味を惹かれていたため、先ほど浮かんだ疑問と併せて、色々とお話を伺ってみることにした。

 

 

 

今の病院も、いろいろなご縁があって出会いました。個人病院ではありますが、現院長で3代目となる、この地域になくてはならない地域中核病院です。

 

地域の人口動態により、病院の形、医療の提供の仕方も形を変えていかないといけない。そのような問題に直面しています。このような病院は、日本にたくさんあると思います。

 

 

ここで、「総合診療医」がどのように他の医師と協力して地域に役に立つことができるか、地域のクリニックと協力して、まずは近くの病院へ紹介していただく。その上で、3次医療機関での治療が必要なときには私たちから繋ぐという、地域の医療の縁の下の力持ち的な役割を担っていきたいと思っています。

 

このようなロールモデルを一つ提示して、日本全体がHappyになればいいなと思っています。

 

 

オーストラリアのRural Generalistにはいろいろなタイプがあるのですが、その中でも日本で1番fitすると考えるのはERGPといわれる、ERをベースにしっかりできるGPの存在です。

 

現在私も、今の病院で勤務しながら、最寄りの3次医療機関である亀田総合病院で月に数回ER勤務をさせてもらっています。こうすることで、自分自身のER医としてのupdateができ、また、アイデンティティの維持にもつながっています。

 

 

さらには、同じ医療圏なので、顔が見える関係になっていることで患者さんを紹介しやすくなっています。地域のメディカルコントロール評議会にも参加させてもらって、救急隊へのフィードバックをすることで地域救急の一助にもなっています。

 

日本で総合診療専門医が新たに新専門医制度の流れの中でできました。形だけでなく、地域で必要とされる知識・手技を現場で指導できる医師の育成(仲間作り)、また、地域で医学生や、初期研修医を教育する病院作りを行っています。

 

 

当たり前のことを当たり前にする。地域が変わっても、国が変わっても、それぞれの土地に必要とされる医療は根本的な部分は変わりません。

 

その上で、地域の事情や、国の事情で上乗せされる医療の提供はあると思いますが、変わらないところをしっかりと次世代の人にわかってもらえるよう教育に携わりたいと思っています。オーストラリアで見てきた「システム」の部分ですね。

 

 

既にその目は、青木先生という「個人」を超えて、「日本の医療」という遥かに大きな「枠組み」へと向けられていた。

 

先生自身が「圧倒的」と評するオーストラリアの医療システムを直に肌で感じてきた経験は、先生にとっても大きな契機となったようだ。

 

 

オーストラリアにて研修に励む青木先生

 

 

ちなみに、私はこの時、「将来的に医療システムとしての教育にも携わっていきたい」という先生の言葉を聞き、先日ゲネプロの第三期生向けに実施されたウェビナーにおいて、講師として参加された青木先生が、受講生たちから高い満足度を以て評価を得ていたことを思い出した。

 

後日、映像でその様子を拝見した際、「誰かに物を教える」という行為に非常に慣れていらっしゃるような印象を覚えたのだが、やはり「地元出身の医療者を育てたい」という明確な目標をお持ちだということも影響しているのだろうか。

 

 

 

ありがとうございます。明確な目標を持っているということも理由の一つにあるのかもしれませんが、もともと一緒に学ぶのが好きなんです。

 

予備校で学生のクラス担任をしていたときとかも、高校生から質問を受けて、一緒に考えたり、少しアドバイスすると、すらすら解けるようになっていく学生を見て、「よかったねー!」とこちらも嬉しく思ってました。

 

 

湘南鎌倉総合病院も屋根瓦式の教育体制がしっかりとできている病院でしたので、先輩から学んだことを自分のものにした上で、より良くして下の学年に伝える。この文化の中で育ったことや、ERという忙しい環境で、研修医の先生達を早く育てて、自分たちを助けてもらいたいと思っていたこともあるかもしれませんね笑。

 

 

さきほども述べましたけど、「地域で教育する」ことが、都会や大学の中で教育することに劣っていないという論文があります。

 

それを日本でも証明したいです。下手すると地域のほうがいろいろと有利な点があるかもしれないってね。そうして、指導者も増えて、地域医療がHappyになればいいなと思っています。そしたら、自分は次のステップですかね。

 

 

「誰かと一緒に学ぶのが好き」と屈託なく楽し気に語る先生の様子には、妙な気負いや苦し気な使命感のようなものは感じられなかった。

 

その様子を敢えて一言で表すならば、まさに「Happy」が相応しい。

 

 

塩田病院にて講義を行う青木先生

 

 

また、やはり離島・へき地医療という “高い山” に日々挑み続けていると自然とそうなっていくのか、青木先生も自己研鑽に余念がない。

 

これは、過去にインタビューさせていただいた先生方にも共通して感じていたところだが、青木先生を含めどの先生方も、自分や現在の環境に足りないものを正確に把握しており、その不足を限られた条件の中でどのようにして補うかということを、常に意識して行動されているようだった。

 

 

培ってきた行動力と計画性に加え、物事を広い視野で捉える力に後進の教育に対する関心。色々と課題の山積する日本の離島・へき地医療だが、青木先生のような方々が最前線に立って道を切り拓いてくれているなら、きっとその未来は暗いものにはならないに違いない。

 

僅か数時間に満たない短い時間だったが、先生との対話を通じて、改めてそう信じることのできる思いだった。

 

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA