『あの医師探訪記 特別編:「Dr.松原がゆく」vol.1 』

 

これまで、離島やへき地で「総合診療」や「地域医療」に取り組む先生方から、その本質や魅力、あるいは現状や課題などについてお話を伺ってきたインタビュー企画、『あの医師探訪記』。

 

 

今回、ゲネプロの『Rural Generalist Program Japan(RGPJ)』も第6期を迎え、卒業生の数も50名近くを数えるようになったことを受けて、この「卒業生同士の繋がり」という掛け替えのない“財産”を生かすべく、ひとつのスピンオフ企画が立ち上がることとなった。

 

これまでのように「“外様”のライターによる“畑違い”の医師へのインタビュー」ではなく、「卒業生同士の対談」。実際に同じ研修プログラムを体験した者として、また総合診療や地域医療に全力で取り組んだ経験を持つ者として、“身内”ならではの目線と観点から話を深めていただいた。

 

 

 

記念すべき第1回目のゲストは、「第2期生」としてプログラムに参加し、現在は下甑島にて島民生活に挑戦されている室原 誉伶先生。

 

医師、室原誉伶にとって「総合診療」とは? 島民、室原誉伶の壮大な「野望」とは──。

 

 

                                                            

 

 

対談者紹介

 

 

室原誉伶 先生

 

ゲネプロ第2期生として、長崎県の上五島病院にて『RGPJ』に参加。モンゴルでの選択研修後、隠岐の島前病院で腕を磨き、第4期および第5期生として下甑島の手打診療所に赴任。現在は、期間限定で「医師」から離れ、ひとりの「島民」として下甑島での離島生活に挑戦中。最近の大きな買い物は、島内の空き家。目下「米づくり」に精を出す、ちょっと風変わりな総合診療医(GP)。

 

 

松原祥平 先生

 

ゲネプロ第4期生として、高知県の大井田病院にて『Rural Generalist Program Japan(RGPJ)』に参加。現在も同病院の第一線でバリバリ活躍中。様々なツールを駆使した「情報整理術」に定評がある。今回、スピンオフ企画のインタビュアーを務める、「消化器内科」のサブスペを持つ総合診療医(GP)。

 

 


 

 

松原:

ゲネプロの4期生で、いまは大井田病院にお世話になっている松原です。室原先生、今日はよろしくお願いします。──さっそくなんですが、室原先生、大学は順天堂大学に行かれてたんですよね?

 

 

室原:

そうですね。僕は熊本出身なんですけど、浪人から東京に行かせてもらいました。それで、順天堂大学に受かって6年間、って感じでしたね。

 

 

松原:

初期研修は、河北総合病院でしたっけ?

 

 

室原:

でした。阿佐ヶ谷にある病院なんですけど、僕はそこで3年間、初期研修をした感じです。ただ、僕たちがギリギリくらいの世代で、その1コか2コ下くらいの人たちからは3年プログラムはなくなって、基本的に2年間になりましたけど。

 

 

松原:

ちょうど節目の世代だったんですね。それで河北病院で3年やったあとに、もうゲネプロに参加して上五島病院ですよね? いきなり、というか4年目でもうゲネプロに、しかも離島に挑戦した理由って、何だったんですか?

 

 

室原:

河北病院の研修って3年間だったので、普通はひとつの科を1ヶ月くらいかけて研修するところを、3ヶ月間もあったりするんですよね。だから、ひとつの科をけっこう長いこと勉強させてもらえたんですけど、やっぱ色んな科が面白かったんですよね。内科系も循環器も、内科に限らず外科、産婦人科、小児科とか色々と回ったけど全部が楽しくって。消化器だけはちょっとハマらなかったんですけど(笑)

 

それで、どれかひとつを選ばなきゃいけない、人生の中でひとつの科だけに絞らなきゃならないっていうのは悩ましいなぁ、と思って。でも、周りの皆はどんどん専門決めているしどうしようかなぁ、って悩んでる時に、たまたまメーリスでゲネプロの情報が流れてきたんです。

 

 

松原:

ナイスタイミングですね(笑)

 

 

室原:

たしか、「1期生が始まりますよ、説明会しますよ!」みたいな内容だったと思うんですけど、それを見て「あ、モラトリアムできそう」って感じで(笑)

 

それで、まずは説明会に行こうとなりまして。その説明会でオーストラリアでのエレクティブ研修の話もあったんですけど、「モンゴルにも行けるよ」っていう話を聞いた時に、「モンゴルだったら、嫁も賛成してくれるっしょ」って思ったんですよね。嫁とは、学生時代にモンゴルでの旅行先で知り合っていましたし、「またモンゴル行きたいね」とも言っていたんで、「これは(モンゴルに)行ってくれるでしょう」と。

 

 

松原:

奥様、千葉のご出身でしたよね、たしか。お話を聞いていて、「離島移住って、まず第一にどうやって説得したんだろう」って思ったんですけど、それもやっぱり「モンゴル」が決め手に?

 

 

室原:

モンゴル、でしたねぇ。まぁ、「行くっしょ! 家族でフェリーに乗って引っ越し、楽しそうっしょ!」って、これで決まりました(笑)

 

 

松原:

すごい(笑)それって、室原先生が元々「俺は自由に拠点を転々とする可能性があるぜ」っていう風に振る舞われてたんですか? それとも、けっこう急に決めた感じだったんですか?

 

 

室原:

急に、だったと思います。そもそも「総合診療やろう」とも全然思ってなかったし、総合診療も離島医療も何も知らなかったので。普通に、都会の専門・スペシャリティどっぷりの医者しか知らなかったので、自分でも逆に驚きでしたね。

 

 

松原:

じゃあ、奥様からの反対はなかったんですか、全然?

 

 

室原:

そんなになかった気がします、あの時は。ありがたいですね。

 

 

松原:

なるほど、度量の広い方なんですね。あの、ひとつお聞きしたいんですけど、元々都会で医者をやっていて、「専門を絞るのが当たり前」っていう環境にいた中で、「後期研修に乗らない」というのは怖くなかったですか?

 

 

室原:

それは、あんまり考えてなかったですね。ほんと、うーん。あんまり何も思わなかったですね(笑)もしかしたら「専門医って取ったら美味しいの?」みたいな感じだったような気もします(笑)

 

 

松原:

そうなんですねぇ。それで、実際に上五島に行ってみてどうでした?

 

 

室原:

上五島病院、めちゃくちゃ良かったんですよね。やっぱ外科系は面白いなって思いました。僕、初期研修は内科コースに入ってたんですけど、外科も勉強したいなと思っていたので、ゲネプロでは上五島病院での外科コースを希望したんですよ。そうしたら、いまはオーストラリアにいる同期の石川(大平)先生で既に枠が埋まってしまっていて。

 

それで、結局は内科コースに参加したんですけど、そこで初めて「総合内科」というものを知りまして。皆、もう循環器でも呼吸器でも神経内科でも膠原病でも血液でも何でも、僕たちが診ますよって感じで、皆ちゃんと早期癌を見つける検診の胃カメラまでしっかり意識高くやっているんですよ。それを見て、「こんな人間、こんな医者がいるんだ」とか「こういうのを求められる地域もあるんだなぁ」と衝撃を受けまして。こういう医療だったら、それまで僕の中にあった「いままで頑張って勉強してきたのに、無駄になるのは勿体ないなぁ」と思っていた部分まで、全部生かせるんじゃないか。すごくいいな、って思ったんです。

 

河北病院の時にも地域研修っていうのはあったんですけど、それは「家庭医療」という感じのものだったこともあって、余計に「僕が本当にやりたかったことってこれだし、面白いな」と感じましたね。

 

 

松原:

それは大成功でしたね。ちなみに、上五島病院はけっこう忙しいって噂を聞いたんですけど、先生はどうでした?

 

 

室原:

僕の場合は、河北病院が忙しかったですからねぇ。僕はあんまり何も思わなかったかな。研修医の時よりは楽かな、って感じでした。でも、たしかに僕も医者4年目で研修に参加していたので、ある程度は色々な科の知識もあったから楽しくやれたところもあったかも。

 

河北病院は、入職したその日から「お前が主治医だからな」みたいなところだったんですけど、研修医から上りたての人とか、それまでが「チーム医療」でチームの後ろで見ながら診療してた、みたいな感じの人にとっては、慣れるまでちょっと大変に感じてしまう部分はあるかもしれませんね。

 

 

松原:

慣れるまでは大変っていうのは、どこで研修するにしても同じかもしれませんね。そういえば、室原先生のブログで読ませていただいてびっくりしたんですけど、モンゴルでのエレクティブ研修、医療の教育システムを少し整えに行った、というかそのお手伝いに行かれてたんですね。

 

 

室原:

そうですね。エレクティブでモンゴルに行かせてもらう、ってなって。でも「いったい、何をすればいいんだろう」ってなるじゃないですか。そうしたら、齋藤先生がお知り合いの井上(信明)先生に紹介して繋いでくれたんです。

 

向こうに行って見学して終わりじゃなくって、ちゃんと学びを得られる場所を提供してくれていたので、本当にすごいありがたかったですね。

 

 

松原:

モンゴルでの伝手は、齋藤先生が運んできてくれた訳だったんですね。モンゴルから帰国した後は、隠岐島前病院で勤務。その次に、下甑ですよね。手打診療所での2年間は、どうでした?

 

 

室原:

診療所は、めっちゃ楽しいんですよね。

 

 

松原:

めちゃくちゃ楽しそうでしたもんね、ブログ(笑)

 

 

室原:

一言でいうと「楽しい」んですけど、やっぱり色々ありましたよ。診療の面で言ったら、内科に限らず外科も小外科系もカメラもあるしで、いままで僕が上五島や隠岐で勉強してきたことが全部ここで総復習、みたいな。いままで勉強してきたこと全部が求められる環境だったので、個人的には「ホップ・ステップ・ジャンプ」みたいな感覚で、「あぁ、良い具合に段階を踏んでこられたなぁ」って感じでしたね。

 

ここ(手打診療所)は、全部ですから。一般外来、新患外来、急患、カメラや病棟管理、診断学。総合診療でよく言うところの「在宅医療」も入るので、だから総合診療医にとっては、かなりやりがいのある環境だなって思います。

 

 

松原:

まさに「腕試し」って感じですね。

 

 

室原:

あとは、やっぱりDr.コトー(瀬戸上先生)の作ってきた基板がすごくって。手打診療所は19床の有床診療所なんですけど、何か都会の一般病院と同じくらいの機能と戦闘力があるんですよね。上下部(消化管内視鏡)ができるし、止血もできるし、CTも造影CTも撮れるし、オペもできるし──って。

 

だから、それをちゃんと生かせるかどうかは、結局のところ自分次第だなって思いました。しかも、そういう環境でDr.コトーと働いてきた看護師さんたちも多く残っているので、その人たちのスペックもまだ自分はフルに引き出せていないんだろうな、とか思ったり。何というか「医者ができるところまで」がそのまま診療の幅にもなっちゃうから、あぁ……ってなったり。

 

 

松原:

なるほど。「楽しい」の裏には、相応の苦労もあった訳ですね。……すごい失礼な言い方になっちゃうんですけど、離島みたいな環境って医療が遅れていたりとか、変なローカルルールがあったりとかするイメージがありまして。特にいまほどインターネットも発達してなくて外界との交流も少ない中、一人の先生がずっと築き上げてきた環境っていうのは、そういう偏りみたいなのが生まれやすいのかな、と。

 

実際、先生が下甑島で精力的にやってきた中で、何かそういうものを感じることはありました?

 

 

室原:

それは、めちゃくちゃありましたよ。全然、フツーに(笑)抗生剤が2種類くらいしかなかったりして、最初はびっくりしたりもしましたね。

 

 

松原:

やっぱり、そういう「おいおい」みたいな面もありつつも、でも「やっぱり敵わないな、すごいな」という部分もあるような?

 

 

室原:

そうですね。それとこれとは、まったく別個の問題かなと思います。たしかに僕たちの方が新しい知識は持っているかもしれないけど、僕にはできないこともいっぱいやってこられてるだろうし。例えば、抗生剤をうまく使えないからって駄目な医者って訳ではないじゃないですか。別にそれで、これまでの過去を否定することには繋がらないですもんね。

 

 

松原:

確かにその通りですね。──少し意地悪な質問が続いてしまうんですが、それこそ手打診療所は、ずっと「Dr.コトー帝国」とも言えるような感じだった訳じゃないですか。「瀬戸上(健二郎)先生だったら……」みたいに比較されたりして、働きにくかったりしませんでしたか?

 

 

室原:

それは、結構言われましたね。「やっぱり瀬戸上先生みたいな医者じゃなきゃ」みたいな(笑)

 

でも、診療所のスタッフも島民の人たちも40年くらい瀬戸上先生と一緒に過ごしてますからね。僕の人生よりも長いですもん(笑)そりゃ最初はお互いのことも知らないところからスタートする訳ですから、色々とありましたけど、いまではすっごい皆と仲良しですからね。結局、最初のコミュニケーションの問題なのかもしれませんね。

 

 

松原:

なるほど。実は僕、これってゲネプロに入った人の多くが、実際に現地でぶち当たる壁かな、って思ってまして。

 

僕がずっとお世話になってる大井田病院は、めちゃくちゃ“ウェルカム”なんですよね。院長の田中(公章)先生が古いしがらみみたいのをできる限り取っ払ってくれていて、とても働きやすい状況を用意してくれていたので、僕はその“壁”をあんまり感じなかったんですけど。でも、やっぱり同期の先生たちの中には、新しい環境に適応したり馴染んだりするのに苦労している人たちもいて。

 

 

室原:

たしかに。僕たちの期でも、そういう部分はありましたね。

 

 

松原:

でも、例えば下甑島で室原先生が経験した状況って、どっちが「正解」とかいう話でもないじゃないですか。先生は、どうやってその状況を打破されたんですか?

 

 

室原:

これって、やっぱり「これまでの自分たちのやり方と貴方のやり方が違う」から排除されてしまう訳じゃないですか。でも結局、大抵のことって「絶対にこうあるべき」と「絶対にこうあってはいけないもの」と、その中間の「どっちでも構わない」のどこかに収まる気がしていて。エビデンスがあるかどうか、みたいな。そういう「どっちでも構わない」ところでは全部相手に譲って、こっちから相手に合わせていく。そうしながらコミュニケーションを重ねていって、ちゃんと結果を出していれば、最終的には仲良くなって終われるもんですよ。

 

それに、「自分もどうせ1年とか2年で居なくなっちゃうんだから、自分の我を押し通してもしょうがないな」とも思いましたし、そもそもローカルルールなんてどこにだってありますもんね。だから、向こうに合わせるべきところは合わせて、郷に入ったら郷に従って、あとは「滅私」(笑)

 

 

松原:

それが結構むずかしいんですよね、きっと。特に赴任したての時って、「前の病院では……!」って言いたくなりますし、それなりに長く医師をやってきていると「俺はできるんだぞ」っていうのをアピールしたくなりますからね。

 

 

室原:

ほんと、そうですね。僕もやっぱり最初に上五島に行った時とかは、本当にそういう感情でいましたもんね。やっぱり自分を認めて欲しいから、ちょっと見栄みたいなのを張っちゃって。自分がやってきたのは「コレ」だ、って言っても、逆に言ったら「ソレ」しか知らなかったからそう言ってたんだろうな、ともいまは思いますね。

 

色々なところを転々としているうちに、そういうのは些細なことで、どうでもいいことだって思えるようになりました。

 

 

松原:

そう思えるのは、羨ましいなぁ。いまでもやっぱり僕は見栄を張りますからね。張っちゃって恥ずかしいなぁ、って内心思いながら(笑)

 

(中略)

 

──ちょうどいま「サブスペシャリティ」の話がでましたが、室原先生としては、「総合診療医はサブスペを持つべきか持たなくていいか」、どう思われます?

 

 

室原:

僕的には、「あった方が楽しいだろうな」って感じですかね。

 

将来的に多分、いまの若い子たちが何かの専門医から総合診療に入ってくることが多くなるだろうから、その子たちに何かちゃんと伝えられるものを身に付けるか、分かりやすく「立場」にするかは必要かもしれませんね。

 

別に「サブスペ」として資格を取る必要はないと思うんですけど、「専門医ばりの知識を持ってるサブスペ」というのが何かひとつあれば、いま研修医の人たちの下位互換になってしまうことはないだろうし、その人たちに教えられることも出てくるでしょうし。特に知識で闘える専門医とかだったら、資格を取ることに固執しなくても、専門医と同等のスキルや知識があればいい気がしますね。

 

 

松原:

何だかこう、「総合診療」という考えから言うと、「サブスペ」ってちょっと矛盾する部分もあるじゃないですか。もちろん、感染症みたいに「総合診療と共存しやすいサブスペ」というのもあるとは思うんですけども。

 

日本が今後、総合診療医をしっかり育て上げていく上では、「何も持っていないのが専門」って訳じゃないですけど、「サブスペを持っている」というのは逆に変なのかな、って思ったりもしていて。

 

 

室原:

あぁ。なんか分かる気がします。

 

 

松原:

まぁ、僕は「消化器」の専門医を持っているんでどの口が、って感じなんですけど(笑)ただ、僕は持ってて良かったと思ってますけど、一方では「逃げてるな」とも思うんですよね。何かあったら消化器内科医になれるし、何かあったら総合診療医になれるし、みたいな。

 

だから、いっそサブスペがない方が退路を断たれることになって、総合診療医としていいような気もするんですよね。

 

 

室原:

消化器のサブスペ、むちゃくちゃいいじゃないですか(笑)

 

逆に「総合診療」って、個人的には必ずしも資格を取る必要があるものじゃない、って思うんですよ。結局、総合診療でやっていることというのは、こういうところ(下甑島)でちゃんと真面目に医者をやって、ニーズを聞いて応えていけばたいていは学べることなので、何が何でも総合診療のコースに入って学ばなければならない、というようなものではない気もするんです。僕も「総合診療医」って名乗ってますけど何のコースにも入ってないし、資格もないですからね。

 

だから、松原先生も、消化器内科を持ってらっしゃって、その上でやってることが「総合診療」なんだったら、自信を持って「総合診療医でサブスペ消化器です」って言ったらいいんだと思います。

 

 

松原:

なるほど。「総合診療」という言葉に、僕はちょっと囚われてしまっているのかもしれませんね。

 

 

室原:

たぶん、「総合診療」って「医者の本質」なんだと思うんですよね。医者の「患者に対する態度としての本質」が、きっと総合診療に表れてくるような気がしていて。

 

僕、昔から『ブラックジャック』に憧れてまして(笑)それで、自分の中に「医者たるもの、患者のニーズに応え続けて当然」みたいなイメージがあるんですよね。そのせいか「総合診療」というものを、どこか「あらゆる医者が備えるべき素養」みたいに感じている部分もありまして。「総合診療」っていうどっしりした“土台”の上に、「サブスペ」っていう素敵な“家”が建っているっていうのは、医者として素晴らしいことだと思うんです。

 

だから「総合診療」という言葉には、あんまりこだわってない、のかも。すみません、うまく言葉にできないんですけど。

 

 

松原:

いえ、先生がブログでも「総合診療とは、結局ニーズに応え続けることだ」みたいに書かれてたのを見て、個人的に「たしかになぁ」と腹落ちする思いだったんですけど、こうやって直接お話を聞いて、さらに腑に落ちた気がします。

 

そう言えば、いまでこそクラウドファンディングを実施したり島で色々な企画を主催したりと、それこそ多くの日本人が羨ましがるだろう行動力を発揮されてますけど、昔は結構バイトも首になったり、指示待ち人間だったりしたらしいですね。

 

いまの先生みたいになりたくてもなれない人って、いっぱいいると思うんですけど、先生はどうやって自分を変えていかれたんですか?

 

 

室原:

大学時代にバイトを首になってから、「僕はポンコツで社会不適合者だ」ってずっと言いながら学生時代を過ごしていたんですよ(笑)

 

でも研修医の時に、3年の研修の間で意外と良い評価をもらえたりしたことで、「あ、こういう風に物事って解決していけばいいんだ」っていう風にちょっと自信が付いたのが、変わり始めた最初の切っ掛けだったと思います。だけど、そこからはあんまり変らなくって。やっぱり劇的に自分が変ったのは、下甑に来てからなんですよね。

 

 

松原:

そうなんですね。意外です。

 

 

室原:

自分でも、あんな色んなことをやる人間になるだなんて、1ミリも思ってなかったですもんね。何だかニーズがめっちゃ見やすいんですよね、ここはきっと。「あ、いまこれが足りてないんだろうな」とか、「こういうのがあったら楽しいんじゃないかなぁ」とか。色んな情報が伝わりやすい環境だったり、発想を実現させやすい規模感とかも揃っていて。

 

 

松原:

いきなり空き家まで買われましたしね。っていうか、いま先生がいらっしゃるのが、噂の空き家ですか?

 

 

室原:

やっぱ気になりますよね(笑)さっきまで空き家の改修作業してたもんで、今日はそこから(ビデオ通話に)参加させてもらっちゃいました。

 

で、たぶん「空き家を買う」って言い始めたのが、大きな変化の始まりで。あの時は理詰めで何かを考えていって合理的にそうなった、という感じじゃなかったんですよ。

 

色々な迷いや悩みの中で、自分自身32歳になって、何か新しいチャレンジをしたいな、っていう想いがあったりして。それで、ふと年々増えていく預金通帳を眺めている時に、「この通帳を10年後にまた眺めた時、俺は何してるんだろう」って思いに襲われたりしているうちに、「このままじゃ何も成長しないな。一回、貯金なくそう」と思い立ったんです。そうしたら、ちょうど空き家の計画も思い付いたので、「よし、これに全額ぶちこもう!」って(笑)

 

 

松原:

ギャンブラーみたいだなぁ(笑)奥様はその計画に反対されなかったんですか?

 

 

室原:

空き家の時は、割となかったですかねぇ。全部はやめて、とは言ってましたけど(笑)

 

 

松原:

いや、たくましいですね、奥様(笑)

 

 

室原:

たぶん、ここで失敗してチャラになったとしても、まだまだ子供もちっちゃいし、自分も32歳でまだこれからだし、それに人生経験的にはかなり大きいだろうから、まぁどっちに転んだとしても損はしないな、と思って。

 

 

松原:

そういうロングスパンで物事を見れるのはすごいですよね。お話を聞いてて、小さな成功体験を積み重ねていくうちに、段々とやることの規模感が大きくなっていったような印象を受けたんですけど、今回の古民家購入、賛否の「否」が多かったらしいじゃないですか。

 

普通、そういう「否」で行動の規模感ってまた小さくなっていって、結局は元の規模感に戻ってそのまま落ち着いちゃう大人が多いような気が最近してまして。室原先生が、その「否」に負けなかったのは、「いまの考えが正しいな」という自信があったからですか?

 

 

室原:

いや、やっぱり何か色んなことをやった人の話を聞くと、最初は「否」が多いじゃないですか。だから、「あ、ついに俺にも“否”が来たわ」って思って(笑)

 

 

松原:

(笑)じゃあ逆に、「大物への一歩、はじまったわ」みたいな(笑)

 

 

室原:

やっと「否」を付けることができはじめたか、って。このくらいでしたね(笑)

 

 

松原:

それは、すごく良いマインドセットですね。

 

──そろそろ良い時間になってきたので、これで最後の質問なんですけど、「医者として」でも「室原という人間として」でも構わないんですが、先生の今後の目標とかビジョンみたいなのって、何かありますか? 今年という短いスパンでも、もっと長めのスパンでも、思い付いた方で構わないんですが。

 

 

室原:

今年は、本当に「どうやったら米は高く売れるんだろう」というのを考えてますね(笑)とにかく米を高く売りたくて(笑)

 

あとは、僕の実家が病院なんですけど、月に1週間だけ熊本に帰らせてもらって、そこで「医者」もやってまして。この前、父親が「総合診療の集団を作りたい」と言ってて、「いまは各科ばらばらな一般外来の医者たちを総合診療の下にまとめたい」という想いを聞かされました。

 

 

松原:

それは、面白いお話ですね。

 

 

室原:

それで、ちょうどそのタイミングで、熊本に根ざして地域医療を頑張ってる先生方と知り合えたんですよね。

 

熊本って場所は、まだまだ総合診療が根付いてないみたいなんですけど、「じゃあ、俺らが地域で頑張るか!」みたいな感じの方々で。ゆくゆくは連携を図っていけたら面白そうだなぁ、とか。そういうことも、ちょっと考えたりしてます。

 

 

松原:

なるほど。いずれ熊本みたいにある程度発展しているところと、がっつり離島みたいなところと、二つの拠点を持てたりしたら面白そうですね。羨ましいです。

 

──いや、今日は本当にありがとうございました。色々と面白いお話が聞けて嬉しかったです。

 

 

室原:

面白がってもらえて良かったです。

 

 

松原:

ちなみに、この後の先生のご予定は?

 

 

室原:

今日はこのまま作業に戻って、明日は朝から農作業ですかね(笑)

 

 

松原:

いいお米がたくさんできて、高く売れるのを楽しみにしてます(笑)

 

 

 

 

 

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