【連載】「あの医師」探訪記 vol.7 ―安 健太先生【後編】―

 

心臓外科医になるためにドイツで武者修行の日々を送り、現在はドイツで実際に心臓外科医として活躍されている安 健太先生から、当時の苦労や後進に伝えたい反省などをお話いただくこととなった、第七回目の「あの医師」探訪記。

 

 

既に先日に公開済みの「前編」では、「海外留学において特に重要な準備」として安先生が挙げた三つの要素のうち、「語学」に関するお話を驚愕の体験談とともにお届けしたが、残る二つにまつわるエピソードも、やはり強烈なものばかりだった。

 

 

 

なお、「後編」となる今回、ドイツにおける医療事情の “現実” や、困難極まりない状況の中でも心を折らないための一風変わった「メンタルコントロール術」などについても面白いお話を伺うことができたので、ぜひ楽しみにしていただきたい。

 

 


 

 

 

さて、七転び八起きを地で行く波乱に満ちた安先生の体験談の数々に、ちょっとした映画や小説を見聞きしているような気持ちになっていた私だが、ふとインタビュー冒頭での安先生の発言が脳裏をよぎった。

 

そう言えば、「海外留学の準備としてやっておくべきこと」として、安先生は「語学」よりも何よりも真っ先に「お金」を挙げていたではないか。

 

 

これだけ「言語の壁」に苦しめられた先生が、ドイツで医師免許を取得するまでの間に「お金」の面でどのような苦労をされたのか気になってしまったため、少々下世話とは思いつつその点についてもお話を伺ってみた。

 

 

 

 

 

(医師免許を取得するまでの間)どうしていたかというと、もう無給状態ですんで、ドイツで実習生として病院で出入りしながら数カ月おきに日本に帰っては、日本の民間医局とかでバイトを探してました。

 

 

それで、バイトしてお金いっぱい貯めて、とにかくなるべく短期間で出来るだけたくさんお金を溜めてですね、そのお金を持ってもっかいドイツ行って、もっかいドイツ語勉強して試験受けて落ちて、もっかい帰ってきて、っていうのを繰り返してました。

 

 

 

その時にはですね、もう変なスイッチ入っちゃっていまして、「心臓外科医やめてでも良いから、ドイツの医師免許だけは取ってやる」って、何かちょっと “キレ” ちゃってたんですよね(笑)

 

ドイツの態度にムカついて、「もう医師免許を取るまでは死んでも諦めへん」と思っていました。

 

 

 

そんな状態の時には、メンタルもちょっと病んでてですね、その時にも齋藤先生には「ちょっと聞いてくださいよ!こんなことがあって・・・」と、しょっちゅう話を聞いてもらっていた次第です。

 

 

 

 

 

「やはり」と言うか「流石」と言うべきかは些か迷うところではあるものの、安先生の乗り越えてきた苦難は並大抵のものじゃなかったようだ。

 

 

それにしても、日本に帰れば専門医として働ける資格もあり、ドイツでは心折れそうになるような困難が次々と襲い来るような状況の中で、はたしてどれだけの人が最後まで心を折ることなく初志を貫徹できるだろうか。

 

 

 

 

 

バルセロナで開催された空手の世界大会にも参加された安先生

 

 

 

言語の壁に体当たりでぶつかり続けた話を伺った時にも思ったことだが、きっと不撓不屈とも言えるこの闘志こそが、安先生の最大の武器であり強みなのだろう。

 

そこで、ドイツ留学中にどのようにしてメンタルやモチベーションを維持していたのか、その方法やコツについて尋ねてみることにした。

 

 

 

 

 

やっぱり、ちょっと「負けず嫌い」が出ちゃいましたね。本当に沢山の人に「帰ってこい」と言われたんですが、「何にも手に取らずに帰る訳にはいかない」って思って、ちょっと意固地になっちゃってた部分はありますね。

 

齋藤先生も、何か「もう帰ってきて甑島で働けばいいよ」なんて、上手くちょっと誘導してきてるのも感じてたんですけど、本当にモチベーションの維持は大変でしたね。

 

 

昔、東京の病院で働いていた時、手術中にめちゃくちゃ怒られて術後に落ち込んでいた時に先輩から教わって、今でも大切にしている教えがあります。

 

 

 

「心を宇宙に飛ばせ」、と。

 

 

 

「太陽系の中に地球という星があって、その表面に日本という国があって、その中に東京の小さな病院があって、その中の小さな部屋の窓から覗き込んだら、失敗して落ち込んでいるお前がいると考えたら、怒られたことなんて大したことでもないだろ」なんて言うんです。

 

 

最初は何を言っているんだ、そんなの出来るわけないだろうと思いましたが、次に怒られた時に試しにやってみたら、案外できちゃって、確かに「大したことないな」と思えたんですね。

 

 

 

 

あとは、何か悩んだり苦しかったりした時には、「現状の苦しいこと」よりも「もっと大きなこと」を考えるようにしていました。

 

 

例えば、「ドイツの手術ロボットで、宇宙で手術してやろうか」みたいな。

 

 

その時にも単なる空想で終えるのではなく、もう少し現実的に「あの先生の知り合いにJAXAで働いている人がいるから、その人と仲良くなれば、もしかしたらそういう道もありえるかもしれないな」なんて考えたりしてました。ある種の現実逃避ですね。

 

 

ただ、そういったことを考えていると、ふと夕方くらいに現実に戻った時に、「なんだ、すごいしょうもないことで悩んでいたな」みたいに気持ちが軽くなっているんですよね。

 

 

 

 

 

「心を宇宙に飛ばせ」。思わず口にしたくなるような格言だが、まさに「言うは易く行うは難しい」の極致のようにしか思えないのは、きっと私だけではないに違いないはずだ。

 

そんな達人じみた行為でも、「やってみたら案外できてしまった」とあっけらかんと笑う安先は、やはり只者ではないのかもしれない。

 

 

 

さて、精神的な調子をどう維持していたかについては想定外の面白い回答を得ることができた訳だが、そうなると途端にどうやって技術面での実力を維持していたかが気になってくるのが、人の性というもの。

 

なので、間髪入れずに質問をぶつけてみることにした。

 

 

 

 

 

それを聞かれると胸が痛むんですが、一応手術のトレーニング道具みたいなものを持って行って、それをやっていました。

 

 

 

手術の糸結びの練習とかも、現地で普通の裁縫用の糸を使って練習していたんですが、どっちかというと手術のトレーニングというよりは、「精神を安定させるための作業」に近かった感じで、もはや趣味みたいな感じでやっていました。

 

だから、手術そのものも、いま医師免許をとって入った時も最初はすごい怖かったですね。久しぶりの手術で。

 

 

だけど、向こうからは「日本で専門医を取ってる人間の手術だ」って思われてたし、最初はギャップを見せないように工夫をしながらやってました。

 

そうしないと次の手術が回ってこないですし、「次からもう手術入ってこなくていいよ」って言われてしまったら、それまでなので。

 

 

 

ちなみに、心臓の手術の時に、下腿静脈って言って脚の静脈を取るんですけど、世界的に見ると20分くらいで取るのが普通って言われてるんですね。20分で取れない人は色々と考え直した方が良いよ、なんて言われてるんですけど。

 

最初、ドイツで脚の静脈ばっかり取らされた時も、まぁ不満なんかもあったんですけど、「じゃあ世界で一番、脚の静脈が早く取れるようになってやろう」と思い立って、夢に見るくらい脚の静脈のことばっかり考えて。

 

 

 

そうしたら15分で、「脚の静脈を取って、脚の傷を二層に縫って閉じて、包帯を巻く」までできるようになったんです。

 

そうしたら、流石にドイツの上級医も「そんなはずはないだろう!?」って一回手を止めて「もう取れたの!?」って驚くくらいになりました。

 

 

 

ただ、同じくらいのスピードで静脈を取っている人もいるので、海外に出てくると「上には上がいるな」っていうのを感じながら、今一生懸命やってます。

 

 

 

 

 

相変わらず努力の方向性とその熱量が凄まじい。

 

安先生の話を聞いていると、「何事も腐らずに、目の前の出来ることを精一杯やることが大事」なのだと、改めて気付かされる思いだ。

 

 

 

さて、非常に面白い話ばかりで興味がまったく尽きないのだが、話が少々脇道に逸れてしまった感もあるので、ここで本筋に戻したい。

 

安先生が最初に挙げた「三つの重要な準備」のうち、「語学」と「お金」についてはお話を伺うことができた。では、残る一つの「コネ」や「現地の情報」とは、一体どういうことなのだろうか。先生に尋ねてみた。

 

 

 

 

 

これは大きな反省点なんですが、事前にドイツの情報を全然把握できていなかったんですね。

 

 

皆さんご存じかもしれませんが、ドイツはいま中東からの難民・移民がすごく多くて、また中東系・アラブ系の人たちっていうのは横のつながりがとても強くて。

 

だんだん語学ができるようになってきて、いろんなところで病院見学していくうちに、やっぱり同じような境遇で苦しんでいるアラブ系、シリアから来た友達がいっぱいできたんですが、彼らと仲良くなっていくにつれてですね、彼らがどんどん情報を提供してくれるようになって、最終的にアラブ人のネットワークみたいなのに入れてもらったんです。

 

 

 

そうしたらそこには、かなり早い段階から情報が全部揃っていて。

 

 

だから、本気でドイツに来ようとしていた人たちは初期の段階から、要するにドイツに来られたアラブ人が次にドイツに来るアラブ人のために、ものすごい大量の情報を準備して待っていたんですね。

 

やっぱり日本人は、あくまで「1~2年やったら日本に帰る」という人が多いんですが、彼らは国を捨ててきているから覚悟も違うし、その分だけ仲間意識もすごい強いんですね。

 

 

それで、彼らのネットワークに入れてもらうことで、急激に沢山の情報が入ってきて、自分が医師免許試験のために何が足りていないのか、っていうのがようやく分かったんです。それも、結局2年くらい掛かっているんですけどね。

 

 

 

あとは今、海外に行くっていうのは「コロナ禍」のこともあるし、世界的に極右化の流れが強くなってきていて、「自国を守ろう」という動きがすごくだんだんと強くなってきているんですが、一方では、例えばドイツでは「外国人医師がいないと医療が成り立たない」という状態になっていて。

 

 

「パラドックス」っていうんですか、「外国人医師がいないと医療は回らないけど、外国人医師ばっかりになるのを国民は不安に思っている」というパラドックスが起きていて、役所や行政側もどうしていいか分からなくなっているんですね。

 

 

 

特にドイツは、僕が来てからが酷かったんですが、週に2回くらい厚生労働省の「アプロバチオン申請用紙」が変わったりしてですね。それで、「昨日プリントアウトしてきた用紙を持っていったら、これは違うと言われて、確認してみたら今日の12時に変わっていた」とか、そんなありえないようなことがどんどん起きて。

 

なので、自分の行きたい国がどこかあるのであれば、とにかくそこの情報をしっかり調べるべきであって、僕はあまりに無防備で行きすぎてしまったっていうのがありますね。

 

 

 

だから、向こうに電話で問い合わせられるくらいの語学力を身に付けておいた方が、絶対に安全だと思います。行ってから「実は・・・」みたいに橋を外されてしまうことがありますからね。

 

本当に、「泣いて許されるんだったら俺は泣くよ」みたいな状態がずっと続いてですね。本当に齋藤先生がいなかったらどうなっていたか分からないですよ。

 

 

 

 

 

小気味よい語り口のせいで「ちょっとした面白い苦労話」のようにも聞こえしまったのだが、実際は先の話と合わせて想像するに、当時のストレスは察するに余りあるというものだろう。

 

安先生の体験を他山の石として、自分の今後に生かしたい。兎にも角にも、あまりのストレスに追い詰められた安先生が、遠い異国の地で志半ばに倒れてしまうようなことにならずに済んで、本当に良かったと思う。

 

 

 

 

 

悲願の「アプロバチオン」取得記念の一枚

 

 

 

なお今回、ちょうど安先生の口から「コロナ禍」に関する話題が出たこともあり、「コロナ禍」前後で生じたドイツ国内での変化についても、少しお話を聞かせていただくことができた。

 

 

 

 

もうそれはやっぱり、海外に来る予定だった人は一斉に止まりましたね。施設側も受け入れをちょっと止めたりしていました。

 

 

 

やっぱりドイツで一番ピークだった時、まぁドイツは結局そこまで酷いことにはなりませんでしたけど、すぐ間近のイタリアですごいことになった時に、手術もドイツ全土で停められたんですね。

 

緊急手術以外はドイツ全土でストップしよう、って言って、ICUもコロナの為に半分くらい空けたりしてですね。その時とかは、人の移動とかが一斉に止まっていました。

 

 

実は、僕も当初はハンブルグの病院に移ろうかって話だったんですけど、それもハンブルグ側から急に断られてですね。はっきりとは言われなかったんですが、「ちょっと今は受け入れられなくなった」っていきなり言われて、それもコロナの影響だろうな、って。

 

 

 

「この地域はあんまり(コロナ禍の状況が)良くないよ」みたいな、ドイツにいないと分からない情報は、日本人ネットワークみたいなので、みんなお互いにやりとりしています。

 

やっぱりコロナの前後では、全然違いますね。だから、今は「コロナの後」の状況を一回確認しないと駄目なくらいになっていますね。

 

 

 

 

 

やはり日本がそうであったように、ドイツも様々な面での変化を強いられることとなったようだ。

 

文化も歴史も人種も大きく異なる遠く離れた二つの国の間に、思わぬ形で共通点が見つかって嬉しいような気もするのだが、それだけにあまり喜ばしい話題でないのが甚だ悔やまれる。

 

 

 

そう言えば、医療における日本と海外との違いの一つに、その症例数の多寡があると聞きかじったことがあるのだが、「ドイツと日本の医療現場における差異」についても尋ねてみたところ、非常に興味深いドイツ側の実態が明らかになった。

 

 

 

 

 

症例数に関して言えば、心臓外科は一番顕著に違いますね。消化器外科とかだと、みんな優秀な先生でもあんまり「海外で」とか言わないんですけど、何でかと言うと、日本でもすごい症例数が回ってくるからなんですね。

 

 

 

きちんと調べた訳ではないんで間違っていたら申し訳ないんですけど、日本は心臓外科が全国で600個以上あるのに対し、ドイツは人口が8,000万人、日本の4分の3くらいの人口なのに、ドイツ全土でだいたい80個くらいしかないそうなんですね。ちなみに、韓国は6つしかないそうです。

 

 

いわゆる「センター化」に成功しているんですね。例えば、僕は亀田総合病院っていう大きな病院で働いていたんですけど、亀田総合病院はだいたい年間150例くらい心臓手術をやっていました。それを3人の外科医で回している、っていう感じでした。

 

 

 

ドイツは一個の病院に20人くらい外科医がいるんですが、僕の働いている病院で年間で1,000例くらい。実は今、日本に帰るかどうか迷っているんですが、次に移る予定の病院では、年間で4,500例くらいやっているんですね。

 

 

 

手術に対する考え方も全然違いますね。

 

日本みたいに「一例一例、丁寧にやろう」みたいな感じじゃなくて、検査とかもルーティンで同じ検査しかしなくて、「出たとこ勝負」みたいな感じが強くて、「あー、これだったら仕方がないね」みたいに、「100例に1例しかないような合併症はもう切り捨てようよ」みたいなところもちょっとあったりして。

 

 

どっちがいい悪いみたいな話ではなく、考え方として勉強になります。

 

 

 

あとはやっぱり、みんなべらぼうな数の手術を経験しているので、手術の上手い人の手術は、ちょっともう別格にすごいですね。

 

 

後は平均レベルで言っても、日本のトップレベルの上手い人はドイツ人にも全然負けていないと思うんですけど、「ドイツの一番へたくそなレベルの人」と「日本の一番下手くそなレベルの人」とでは、ドイツで手術でやっている人たちは、その最低レベルの高さが全然違いますね。

 

やっぱり、最低でも年間で数百例の手術をこなしている上での手術なので、やっぱり皆レベルが高いですね。

 

 

 

あとは、それだけ手術をやっている割に、「9時~5時」な働き方だったりするんです。日本みたいに、「月曜日に来て金曜日に帰る」みたいなことはないです。

 

 

本当にもう、5時になったら手術中でもオペレーターが後に引き継いで帰ったりすることもありますから、本当にびっくりしますね(笑)

 

っていう位、QOLは絶対に守られています。

 

 

 

まぁ、ちょっと物足りなさを感じたりもするんですけど、日本とは全然違う世界になるんで、よく「僕は日本でも十分に手術をやってますよ」っていう人もいますが、そこはやっぱり「行ってみてから言いなさいよ」って話ですね。

 

 

 

 

 

医療の専門家でも何でもない私でもその違いに驚くばかりなのだから、実際に医療の世界に身を置く安先生が感じた驚きは、きっと相当なものだったに違いない。

 

また、端から聞いている分には、どうしてもドイツの職場環境の方が色々と優れていたり魅力的なように思えたりしてしまうのだが、「どちらが良いとか悪いとかではなく、考え方として勉強になる」と言うどこまでもフラットな物の見方も、実際に両方の現場を目で見て、肌で感じたから者だからこそのものだろう。

 

 

 

まだまだ深堀りしたい話は沢山あったのだが、残念なことに既に当初の予定時間を大幅に過ぎてしまっていたため、泣く泣く「将来の展望や目標について」という恒例の質問で、インタビューを締めさせていただくことにした。

 

 

 

 

実はこの一年間、ドイツでの仕事の面でも私生活の面でも本当に激動続きの一年で、今回もそういった事情との兼ね合いで、ある意味 “緊急帰国” 的に日本に帰ってきたんですね。

 

なので、このまま日本に残るのか、あるいはドイツにもう一度戻るのかも含めて、現在はとても迷っているところです。

 

 

 

それとは別に、手術がうまくなることが目下の目標です。

 

できれば、ドイツでガンガン手術のトレーニングを積みたいのですが……。コロナのことや、家族のことなど、バランスを考えて行かないといけない年齢に差し掛かっているので、悩むことばかりです。

 

 

どういった形で手術のトレーニングを積んで、日本に帰国するのか、悩みは尽きないです。

 

 

 

 

今日伺った話を振り返って改めて思うのだが、きっと安先生の目指す先には、多かれ少なかれ頭を抱えてしまいたくなるような困難や壁が待ち受けていることだろう。

 

だが、それでも時には宇宙に心を飛ばしたり、時には空想の世界に思いを馳せたりしたり、またある時にはむしゃくしゃした気持ちを爆発させそうになったりしながらも、最後には不屈の根性で道を切り拓いて、乗り越えた先であっけらかんと笑っているに違いない。

 

 

 

ほんの短い時間を共有し、画面越しに言葉を交わしただけではあるが、何故だかその予感は妙に確信めいている。安先生の行く先に幸多からんことを祈るばかりだ。

 

 

 

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