卒業生への インタビュー全編
岩谷 健志 先生
Dr. Kenshi Iwatani
上五島での自宅看取りの経験がクリニック開業の原動力に
離島に生まれ育ったという岩谷先生ですが、研修プログラム応募のきっかけを教えてください。
はい。私の地元は宮崎県の離島(延岡市島浦町)です。そこで生活するなかでへき地の医療の大変さ、脆弱さ、またやりがいを幼いころから感じていました。医師を志した小学生の頃から将来的にはへき地の医療現場で働きたいという夢がありました。ところが、医学部に入って、医師として年数を重ねるごとに「へき地の医療現場で働くことを目指す」ことがだんだんマイノリティになってきました。同じような夢を持っていたはずの周りの仲間が専門の道へ向かっていくのを見ながら「自分はこのままでいいのだろうか」と夢に疑問を持ち始めていたんです。
そのときにたまたま救急医のメーリングリストにゲネプロ説明会の案内が送られてきたのが応募のきっかけです。
妻と3人の息子と一緒に行きましたが、家族みんなで楽しみ尽くしました。私の育った島が人口800人くらいで何もない小さな島だったので、妻はそんなイメージだったようですが、上五島にきてみるとお店などもたくさんあり感激していました(笑) 子供たちも毎日自然の中で遊んで楽しく忙しくしていました。また住みたいねって家族で話しています。
元々は救急医療に従事されていました。そのまま救急の道を極めるという選択肢もあったかと思うのですが…
私の場合はへき地で戦えるように、というモチベーションで救急医療を勉強してきたので、未練はありませんでした。実際にへき地に行ってどこまで通用するのか、どんな課題がでてくるかというわくわく感の方が大きかった気がします。
これまでの経験が活かされたものと、上五島で新たに学べたもの。それぞれどんなことがあるでしょうか。
救急医として働く中で医師の中でも患者数や症例数には暴露されてきたという自信はあったので、初診や初療への恐怖心が少なかったのは経験が活かされた点だと思います。
ただそこからの検査や治療の組み立てや日常生活へと繋ぐ医療、そして日常生活を続けていくための医療介入というのは上五島でとても勉強になりました。
スーパーなどに行くと、患者さんから声をかけられて自分が処置した傷の経過を見せられたり、以前処方した薬の文句を言われたり(笑)、良し悪しあるとは思いますが個人的にはゲネプロという期間限定の離島生活でもあり、そんなことも心から楽しめた(勉強になった)と思います。
研修の中で印象に残っていることを教えてください。
自宅でのお看取りはとても印象深かったです。ある神経難病の方を自宅でお看取りしたことがありました。救急医は神経難病の方とはあまり接する機会が少ない気がしますが、初診から診断治療、看取りの過程をご一緒させてもらいました。入院して病状が悪化していく中で家族が自宅看取りを希望されたんです。当時の私には状態の悪い方を自宅で看取るという概念がそもそもなかったのでかなり戸惑いましたが、そのときは病棟や連携室の看護師さんが背中を押してくれて、医局の医師たちから対応などを手取り足取り教えてもらって在宅医療にこぎつけました。
そして家族をはじめ訪問看護師などの多職種支援をうけて最期自宅でお看取りができました。この方に限らずですが、自宅で看取るときの空気感、家族の表情、家の匂い… 全てがとても新鮮で、良い意味で衝撃を受けました。救急外来や集中治療室で看取る経験が多かった自分の看取ることの概念が変わった瞬間でした。
ご家族とは交流が続いていて、上五島を離れたあとも家族でご自宅に泊まりにいきました。子供たちと一緒に、患者さんをお看取りした畳で一緒に寝たんですよ。
その経験はどのように活かされていますか?
上五島での在宅医療や自宅看取りの経験。それは今のクリニック開業の原動力になりました。純粋にこういう医療が地元にあったらいいなという気持ちになったんです。研修が終わった後、2023年に地元(宮崎県延岡市)で在宅のクリニックを開業しました。こうした経験だけでなく、ゲネプロで地域を包括的にみる視点を学べたことも開業に繋がったと思います。
それまでは自分が1プレイヤーとして例えば地元の島にもどって住民を救う、みたいなイメージでいました。実際はそうじゃなくて、30年後50年後にその地域の医療をどう維持していくのか、自分がいなくなったとき・病気になったときにシステムとしてその地域をどう支えるのか、全国各地に散っているゲネプロ同期の話やオーストラリアの話をきくことで視野が広がり、具体化された気がします。私の場合は地元の延岡市の単位でみたときに、全国と比較しても在宅医療のシステム構築が直近の課題でしたので迷いなく開業に踏み切れました。
今後はゲネプロのような教育体制の強化や医師のワークライフバランスの支援などが延岡市や宮崎県の単位でおこなっていければと考えています。
上五島病院では臨床をしつつ英語の勉強もして、毎週水曜日にはゲネプロのウェビナーなどもあり、かなり大変だったのではないでしょうか? 先生は上五島でのデータをもとに論文執筆もされましたね。
医療や英語に関してはきついというよりは楽しさがありました。論文執筆については生活に少しずつ慣れてくる中で何かこの経験を形にしたいという気持ちがでてきたんです。
ただ思いついたのが年明け1月頃。1年間という限られた時間の中でしたので病院の同僚やゲネプロの方たちにも協力していただきなんとか学会発表までこぎつけられました。仲間の大切さを痛感しました。
ゲネプロ卒業生も増えてきたので、今後も研修病院や期の違うメンバーなどでも一緒にデータを集めたり、なにか形にできるとおもしろいことができそうだなと思います。
最後に、プログラム応募に迷っている先生方にメッセージをお願いします。
私と同じように幼少期や学生時代からへき地医療に夢を持っている方もおられるかもしれません。しかし医師として年数を重ねたり、家族のことなどで制約が出てくる中で普通はその夢が薄れていきます。そこに社会的なサポートを受けながらもう一度挑戦できるのがゲネプロの魅力だと思います。
知識や手技などの教育的な支援から、研修生のメンタルヘルスや家族ケアにも気を配っていただけたのはとてもありがたかったです。また、ゲネプロに集まる先生たちはこれまでのキャリアや年齢、今後の進路も全く異なるのでその後の医師生活にも良い刺激をもらえますし、おそらく一生の繋がりができると思います。
悩まれている先生がいたらぜひ挑戦していただき、研修中、そして卒業後も一緒に日本や世界の地域医療に関わっていければ嬉しいです。