【連載】「あの医師」探訪記 vol.2 ―岸川 孝之先生―
連載第二回目となる『あの医師探訪記』では、長崎県上五島病院にて内科医として勤務する傍ら、ゲネプロ研修生の指導にも当たっておられる岸川 孝之先生に焦点を当てたいと思う。
長々と前置きを語るのもかえって野暮なので早速本題に移らせてもらうが、今回の主役である岸川先生は、既に軽く十年以上のキャリアを持つ経験豊富な医師だ。
生まれも育ちも長崎県は佐世保市であり、自治医科大学を卒業した後、長崎医療センターにて初期臨床研修を修了。その後も、長崎県内の病院や医療センターで研鑽を積み重ね続けて今に至る、という経歴を持つ。
研修医を指導する岸川先生(左)
そんな “長崎づくし” の岸川先生だが、「呼吸器内科の専門医」としての顔とは別に、実は「優秀な総合診療医」としての顔も併せ持っておられるのだ。
“専門医” と “総合診療医” という、一見相反するような二つの顔をどのように一つの器の中に作り上げ、またどのようにして両立させてきたのか。非常に興味をそそられる疑問だが、岸川先生には今回、その辺りについても詳しく伺うことができた。
まず、今回のインタビューにあたっては、「そもそもどうして離島医療に興味を持つようになったのか」という疑問をぶつけることから始めてみたのだが、結論から言うと、「離島医療」というものに対する岸川先生のスタンスは、終始どこまでも一貫するものだった。
まず、自治医科大学でかつ長崎県出身者であり、学生時代から五島列島を含めた離島で医療を行うことは決まっていました。
実際働くまで離島と本土の医療の根本的な違いを感じたことはありません。それは現在働いている上五島病院の医療体制や設備などがある一定のレベルにあるため、その感覚は現在も変わりません。
他の離島の状況を存じ上げないため、離島ではありますがやや特殊な環境ではあると思います。
なるほど、“長崎県出身” かつ “自治医科大学出身” という先生の経歴からして、離島で医療に従事することは、もはや医師としてふ化する前からの既定路線だったという訳だ。
とはいえ、切っ掛けが何であったにせよ、岸川先生が、医師としてのキャリアの大半を離島にて形成してきたという事実に変わりはない。
「離島における医療と本土における医療の間に、根本的な違いはない」
そう語る先生の言葉に、表情に、声色に、揺るぎのない説得力が宿っているように感じられたのだが、今回のインタビューを通じては、その説得力の根幹を成す “離島医師としての厚み” のようなものを、先生の中に垣間見られた気がした。
研修の合間に研修生たちとBBQ
また、素人考えに過ぎないのかもしれないが、やはり四方を広大な海で隔離された「離島」という特殊な環境の中で医師として働くということには、設備の整った本土の病院で医療に従事するよりも、様々な面において苦労を強いられそうな印象を抱いてしまう。
そんな勝手な想像から、先生に離島での尽力を労わる言葉を掛けたのだが、返ってきた答えには、思わず感じ入ることとなった。
3年目の研修医明けで上五島に勤務した当初は、知識も技術も足りず大変苦労はしました。
諸先輩方の姿や診療の真似事を行いながら、一つずつ目標をクリアしてきたような気がします。
離島という環境を追い込まれた環境とは思いません。一般的な3年目と同様の苦労をしたということです。
離島という環境を決して特別視せず、医師としてどこまでも平静であり、謙虚な態度を崩さない。
きっと、この離島医療に対する姿勢こそが、離島医師としての岸川先生を支える揺るぎない “土台” なのだろう。
そんな岸川先生の姿を見ていると、先生が長年その身を置き続けている上五島病院に対する興味が、むくむくと湧き上がってきた。
そこで、「先生の目から見た上五島病院」について紹介していただくようお願いしてみたところ、快く応じてくださり、期待していた以上に多くの情報を共有してくれた。
上五島病院での仕事は外来が日常診療の大部分を占めるため、プライマリケアであったり、慢性期疾患の管理が中心となりますが、ご高齢の方が多いこともあり悪性疾患を診る頻度も非常に多いです。
また、簡単に専門施設に紹介できる環境ではないため、内科に関してはほとんど全ての疾患に関する診断や初期治療あるいはその後の治療に携わることになります。
そういう歴史の中で先輩方もやってこられた環境があり、専門外の手技や治療も仲間らの指導の下で経験を積むことになります。
Generalに診たいから行っているのではなく、上五島では当然必要で求められる手技、診療であるから行うのであり、そういった部分が他の総合医を養成する施設とは異なるところかと思います。
ですので、これまで総合診療のトレーニングを受けたことは個人ではありませんし、教えることもできませんが、数年ここにいることで自然とそういった考え方、スキルが身に付くものだと考えます。
また当院ではそのような総合的な力に加え、サブスペシャリティの部分での力も求められます。
それぞれが違ったサブスペシャリティを持っている中で基本的なGeneral Mindという方向性は同じであることから、お互いの得意分野を教えあいながら知見を広げることができると同時に、Generalistとしての力量も増やすことが可能と考えます。
どうやら、総合診療医としての腕を磨くには、うってつけの環境が整っている病院らしい。ゲネプロが、研修プログラムのパートナーに是非にと望んだ理由の一つが見えた気がする。
しかし興味深いのは、上五島という環境において、プライマリケア(総合診療)とは、特別な技術や意識が求められるような類の高尚なものなどではなく、あくまでも日常の生活の延長線上にあるものとして捉えられている点だ。
「Generalに診たいから行っているのではなく、上五島では当然必要で求められる手技、診療であるから行う」
まさにこの一言に、上五島病院と総合診療との関係性が集約されていると言っても過言ではないだろう。
しかし、その一方で、同院では総合診療医としての能力のみならず、より専門性の高い「サブスペシャリティ」を持つ専門医としての力も求められるというのだから、やはり医療の世界はそう甘くはない。
確かに、様々な症状に幅広く対処できる能力だけを磨いていては、専門的な知識や技術の求められる症例に出会った時に太刀打ちできないことだろう。もちろん、その逆もまた然りなはずだ。
上五島にて、ゲネプロ研修生と
また今回、岸川先生の話を伺い、総合診療医と専門医とは、決して対立した概念などではなく、医師としての “構成比率” が異なっているだけに過ぎないのだと分かったように思う。
だから、専門的な部分を磨けば、当たり前に医師としての総合的な実力は伸びるし、総合診療で培った知見は、当然に専門医としての見識に更なる深みを与えることになる。両者は、不可分の関係にあるということだ。
もちろん、もっと広い視野で物を語れば、「専門分野以外は一切診られないが、その分野においては最高峰」というような “超専門医” の存在も、間違いなく世界には必要不可欠だろう。
だが、少なくとも上五島において求められているのは、「専門分野を持った総合診療医」という、一見矛盾したような響きを持つ存在ということのようだ。
さて、そんな岸川先生の専門分野は、「呼吸器内科」だという。数ある科の中から何故、呼吸器内科を選択したのか。その理由について尋ねてみた。
自分は自治医科大学出身者であり内科医であります。
前述した通り医者になる前から大学で全身を診ること、またあらゆる疾患に対応できる医師になること、全人的医療に尽くすことを教育されてきました。
当初は膠原病内科に興味を持っておりましたが、実際長崎に戻り離島で内科として働くと決めた際に、より地域のニーズに即したサブスペシャリティの決定が望ましいと考えました。
その際に、当初から興味のあった膠原病に加え、悪性腫瘍、アレルギー、感染症、循環器疾患といった様々な病態をみる必要がある呼吸器内科を選択することになりました。
実際外来の新患では、咳や痰といった症状で受診する方は一番多いですし、胸部レントゲンやCTを診ることも非常に多くありますし、気管支鏡検査や抗腫瘍薬による治療などより専門的な手技や診療も行うことができ、現状には満足しております。
なるほど、自身の関心を抱く領域と、地域の求める領域との重なり合う部分が、呼吸器内科だったという訳だ。
さらに興味深いことに、医学生時代から全人的医療の道が常に傍らに在り、総合診療の技術をみっちりと叩き込まれてきたとのことだが、岸川先生の源流が、自治医科大学にあることも判明した。
それにしても、話を伺えば伺うほどに、総合診療医に求められる「全体を見る能力」と、専門医に求められる「部分を見極める能力」とのバランスを取るのは、どうにも難しそうに思えてきてしまう。
だが、そんな疑問に対する先生の答えは、何ともあっけらかんとしたものだった。
プライマリケアは普通の日常、専門の部分はプラスアルファの学びと喜びといったところでしょうか。
あくまで基本は内科全般を診ることでありますが、自分が呼吸器疾患を専門としてもう一つの学びを臨床に生かせることは非常に喜びでもあります。
バランスに関しては考えたことはありませんが、プライマリケアは日常なので意識することはあまりありませんが、頭の中で悩んだり考えたりしていることはだいたい呼吸器疾患の患者さんのことですね。それぐらい呼吸器疾患の患者さんの数も多いということです。
「ええ、なかなか苦労しています」などという返答をまったく予想していなかったとは言わないが、短い時間ながらも岸川先生と交流を持ち、多少なりともその人となりを知った今となっては、何とも “先生らしい” 答えのように思える。
個人的な所感として、医者という人種には、献身的あるいは探究的な方が多いという印象を抱いているのだが、どうやら岸川先生は、そのどちらの気質も持ち合わせているようだ。
研修生の指導にあたる岸川先生
さて、ここまで色々とお話を伺ってきた訳なのだが、「質実剛健」を絵に描いたような岸川先生を前にして、何とも恥ずかしながら、どこかで私の中に眠る捻くれた部分がくすぐられてしまっていたことを、ここで白状したい。
そこで、昨年から上五島病院にて研修を行っているゲネプロの研修生たちを引き合いに出し、敢えて強い言葉を使い、わざと意地悪な質問をぶつけてみることにしたのだが、返す刀で見事な “返り討ち” に遭うことになった。
邪魔なんてとんでもございません。
ゲネプロの皆さんはそれぞれ各地で色々な経験を積まれてきた方々が多く、こちらが教えていただくことも多くありました。
当院は教育施設としてはまだまだで、教えるというより、「早くこの環境に慣れて、同じチームの一員としてともに頑張っていこう!」という病院でありますので、プログラム的な教育を求めている方にとっては非常に申し訳ないと思っております。
しかし、それがいいところでもあると思いますので、今後も当院を希望の方はどんどん研修に来ていただきたいと思います。大歓迎です。
この刀、とんでもなく良く切れる。「おべんちゃらやおためごかしではない」と、素直に信じさせる説得力のあるその姿に、私の毒気もすっかり抜かれてしまった。
辻斬りを仕掛けた張本人が言うのも何だが、人間やはり悪いことはするべきではない。
噛み締めた罪悪感のほろ苦さに恥じ入りつつ、最後に罪滅ぼしの意味も込めて、先生自身の「将来の展望」について質問させていただくことにした。
自分は呼吸器内科を深く勉強していく中で、最近進歩が著しい肺の腫瘍領域に興味を強くもっております。
同時に肺癌以外のがん治療にも興味をもっております。実際に血液疾患や消化器疾患の化学療法を行うことも当院では少なくありません。現在は内科を総合的に診る中での呼吸器専門という形ですが、いずれは腫瘍を総合的に診ることができる腫瘍内科として活躍の場を広げていけたらと考えております。
そのためにはクリアしなければならない資格など多数ございますので、そのために精進していきたいと思います。いずれはその技術知識を離島やへき地で働く後輩たちに教えることができるような立場にきちんと成長したいと思っております。
やはりというか、何と言うべきか。まだまだ歩みを止めるつもりは、ないようだ。
今は、腫瘍内科を修めるべく努力を重ねているようだが、いずれそれが叶った暁には、きっとまた別の “自分に足りない領域” 、あるいは “地域に足りていない領域” を埋めるべく、黙々と新たな目標に向かって邁進し始めるのだろう。
勝手な憶測かもしれないが、そんな気がしてならない。
そう思わせてくれるような先生が、かかりつけの病院にいるだけで、地域の住民たちは多かれ少なかれ安心を覚えるはずだ。そして、そういった先生が増えれば増えるほど、病院という存在は、単なる “怪我や病気を治す施設” から “地域の不安をも癒す象徴” へと、その役割を大きく進化させることになるのだろう。
もし “究極の医療” などというものが存在するならば、もしかすると、それは最先端の医療機器や新開発の治療薬などにではなく、どこまで行っても「人」にあるのかもしれない。
岸川先生の背中に、そんな可能性を見た気がした。
写真=岸川 孝之