湖畔の集落 葵区井川
順天堂大学静岡病院のHPにはドクターヘリの活動報告が記されている。
平成25年4月現在、全国で35県41機のドクターヘリが活躍し、
北海道は3機、静岡、青森、千葉、長野には2機配備されている。
静岡県は東部を順天堂大学静岡病院、西部は聖隷三方原病院が受け持っている。
順天堂大学静岡病院の出動件数は平成26年度が891件、
10年前の16年度(433件)と比較すると約2倍の件数になっている。
伊豆半島南部医療圏の医療施設従事医師数は全国平均の半分強である。
西海岸の戸田診療所と順天堂大学静岡病院とはおよそ25キロの距離だが、
峠を越える山道のためドクターヘリで患者搬送をしている。飛行時間は僅か6分。
へき地や離島では「救えたはずの命」を失うことが度々ある。
「このやり場のない悲しみや無念さを、
島の宿命だ、と自らを納得させるように老人が語っていた」
以前、下甑島を訪ねたとき瀬戸上先生からお聞きしたこの話には、
離島の悲哀がある。
日本国憲法で国民の命は平等だと謳われているなら、
ドクターヘリの普及は国の責務である。
静岡市の葵区は、政令指定都市の行政区の中で日本一の面積である。
南アルプスの登山口である旧井川村は葵区に含まれ、
順天堂大学静岡病院から最も離れた地区である。
熱海の自宅を早朝に出発し、
最初に向かったのは藤枝市。
何故なら藤枝市には「朝ラー」なるものがある。
「救えたはずの命」と明らかに軽い「朝ラー」を、
同じ流れで記述することに若干の抵抗はあるが、
支離滅裂な内容こそ、ヴィルトゥオーソの売りなので許しを願いたい。
数年前、出社するサラリーマンをターゲットにしたラーメン屋が、
東京新橋の駅前に数店舗できた。しかし現在は違う飲食店に変わっている。
どうやら朝ラーなるものは定着しなかったようだ。
静岡県藤枝市には、朝ラーなる店が16店舗ある。
「燕」「ちっきん」はラーメンランキング上位の常連である。
早い店は6時にオープンし、昼を提供して閉めてしまう。
当初は魚介系醤油のあっさりが主流だったが、
家系や九州系のとんこつも増えてきた。
今回「池田屋」という店に朝9時に到着したのだが、先客が6人いた。
その中の単体で来ている男性2人は、
2種類のラーメンを注文していた。
(注文する前に必ず周りを物色する)
メニューを見ると、ラーメン一色なのだが、
そこに「冷やしラーメン」なるものがある。
先に暖かいラーメンを食し、
2杯目に冷やしラーメンを食べるというのが藤枝のスタイルらしい。
そのせいか、どんぶりは小ぶりである。
(比較対象がないので、小ぶりさが伝わらない)
冷やしラーメンに後ろ髪を引かれながら、
旧井川村に向かう。
国道473号線は、大井川、大井川鉄道と共に北上する。
大井川鉄道は現在もSLが走る。
前回は時刻表を調べSLと並走した。
私は「てっちゃん」の自覚はないが、SLに限らず電車と並走すると、
何故か微妙に興奮してしまう。
トンネル等で電車と一端離れると、
一抹の寂しさを感じ、再会を期待してアクセルに力が入る。
再会すると思わずニヤッとしてしまう。
最終的には離れ離れになるのだが、
冷やしラーメンのように未練を残し、
バックミラーや左右遠方に電車の姿を追い求めてしまう。
これは「てっちゃん」現象なのだろうか・・・。
川根町の茶畑を越えるとSLの終点、千頭。
ここからは大井川鉄道井川線になる。
道は362号線から県道へと変わる。
千頭から北上すると、道は寸又峡方面と井川湖方面に分かれる。
寸又峡は静岡県の景勝地の一つである。
寸又峡プロムナードコースは一周90分の手頃なハイキングコースで、
吊り橋や山道があり、紅葉時期は観光客で溢れる。
15年以上前に両親と来たことを思い出す。
親父は茶店で待っていたが、
70歳を越えた母さんとプロムナードコースを歩いた。
健脚なのは知っていたが「あなたの助けは必要ない」かのごとく、
10メートルの間隔を保ち後ろからついてくる。
ちょっとした意地悪な発想が浮かび、
カーブを曲がった瞬間、数秒速度を速めすぐ元に戻した。
差は15メートルになり、後ろをチラッと振り向くと、
母さんは何食わぬ顔で歩いている。
次のカーブをそのままの速度で歩き、
後ろを振り向くと相変わらず何食わぬ顔で歩いているのだが、
距離は10メートルに戻っている。
「奴め、走ったな」
次のカーブは更に速度を上げる。
勝ち誇ったかのように後ろを見ると、
平然として10メートルを保っている。
「奴め、やるな」
むきになり次のカーブは全速力で走ったのだが、
距離はいっこうに開かない。
お互いの数秒の全速力は、お互いに見ることはできないが、
まばらにいる観光客は何事かと、この奇天烈な親子を見ているはずだ。
直線も競歩のごとくどんどんスピードが上がる。
そしてカーブは全速力。
観光客をかき分け,脇目もふらず疾走するバカ親子。
待っていた親父が一言。
「予定より30分早かったな」
お互いに、自分は走っていない、を装っているので、
最後までことの真相には触れなかった。
井川診療所は湖畔に佇むプチホテルのようである。
静岡大学のフィールドワーク実習調査報告書『井川に「いきる」』に、
旧井川村の医療の歴史が記述されている。
井川診療所は井川ダム完成の昭和32年に設立されている。
昭和42年までの10年間に15人の医師が着任している。
この例からへき地における医師の確保の困難さが伺える。
3度の無医期間もあり、井川地区は住民自ら栽培する薬草の文化が発達した。
平成2年に赴任し現在も診療に携わる山田所長の専門は産婦人科だが、
内科、整形外科、小児科、眼科、耳鼻科、皮膚科、泌尿器科など、
歯科以外は何でも診ている。
また行政や街の病院とのパイプ役もこなすことにより、
医療事情は大きく変化を遂げることになった。
平成13年には救急車の配備ならびに救急隊の常駐、
そして無償で乗れるドクターヘリの制度が整い、
診療所の横にヘリポートが設置された。
自動車免許のない井川の住民は、同じ葵区にある静岡市役所に日帰りでは行けない。
まさに陸の孤島である。
高齢化率50%以上、当然のことながら約500人の住人は減少していくだろう。
高齢化の問題は確かに大きな問題である。
しかし20年後、30年後の日本の様相は新たな展開を迎える。
現実に対応する医療政策は必須だが、
長期的視野も同時に持ち合わせなければならない。