『オーストラリアの師匠を訪ねて』
ケアンズから南へ車で、90分。
サトウキビ畑が広がる道を走り、北ジョンストーン川を過ぎるとイニスフェイルに入ります。北ジョンストーン川と南ジョンストーン川の合流点に位置し、オーストラリアでも熱帯雨林気候がもっとも顕著な地域の一つです。
ここイニスフェイルに住む3万人の健康を支えるイニスフェイル病院の院長、ピーター・マッケーナ先生を訪ねました。
ピーターは当時、「何でもできる医者になりたい」とオーストラリア中のプログラムを探しましたが、それに適したものが見つからず、単身で南アフリカに移り独自の研修を積みました。
一晩に10件をも超えるお産や手術に対応し、医師として何でもしなくてはならない環境で揉まれた彼はその後、母国オーストラリアに戻り、当時3名しか医師のいなかった木曜島で働き始めます。
「昔はよく停電したので懐中電灯で手術をしたり、ヘリコプターも無かったので隣の島までほぼ半日かけて患者搬送をしたり...それは大変な勤務だったけど、木曜島は楽しい経験になったよ。」
ピーターは木曜島での離島医療の実績が評価され、パームアイランド病院の立て直しに呼ばれます。パームアイランドは “アボリジニの流刑地” として知られ、当時行きたがる医師は少なかったそうです。
しかしピーターは持ち前の人懐っこさでどんどん地域に入り込み、住民の意識を変えて行きます。そして今や、若手医師や医学生の研修も来るような活気のある病院になりました。
代表の齋藤がピーターと出会ったのは、2年前にオーストラリアで催された「Rural Generalist Program」の10周年を祝う記念式典でのことでした。足を怪我して松葉杖をついていたピーターとランチタイムで隣席となり、彼に料理を運んだのが縁に。
その後、1ヶ月も経たないうちにパームアイランドに招待されました。
ビール片手に夜空を眺めながら、飽きることなく離島医療について語り合ったことで、齋藤はピーターのことをいつしかメンターと仰ぐようになります。
そんなピーターの印象を一言で表すならば、「決して群れない孤高の医師」といったところでしょうか。
何が何でも住民を守ろうとするその姿勢は、時として行政に対してすら物怖じしない発言をすることも辞しません。
そのせいもあってか、1年前にパームアイランド病院の院長を解任されてしまい、地元のイニスフェイル病院に戻ることとなります。ピーターが島を離れる時の島民の悲しみは、相当なものでした。
イニスフェイル病院に戻ってからは、救急、外来、入院、手術の連携をスムーズに行うべく、2006年に病院の新築を手がけました。患者さんの移動する道――つまり導線を徹底的に短縮させようとするピーターの設計の意図が、素人目にも伝わる造りの病院です。
「緊急の帝王切開があるから、ちょっと病院に戻らないといけないんだ。みんな先に夕食を食べててくれないかな。」
蛍の光が見える庭園で焚火を囲んでしばらく会話した後、ピーターは再度病院へ戻ります。「怪盗グルーのミニオン」が描かれた自称ユニフォームのアロハシャツ姿で車に乗り込むピーターの姿が、一瞬アンパンマンに重なりました。
ピーターが緊急出動した後は、南アフリカ出身の快活で情熱的な奥さんマセルと、犯罪学を勉強中の冷静沈着で穏やかな息子さんティアンが、ピーターが病院に戻った後のホスト役を完璧に引き継いでくれました。
分厚いラム肉を頬張りながら、南アフリカの歴史、政治、民族について語り合ったことは、そこに居合わせた誰もが忘れられないほどの深い時間になったと思います。
「熱帯雨林は湿気で物がすぐ壊れるから、家の修繕が本当に大変なの。でも、この家はずっとここにあるから、いつでも来てね。」
マセルの言葉を大切に胸に抱きながら、虫の鳴き声とともに眠る、イニスフェイルの夜でした。