北海道 天売診療所
今まで日本の数多くの島を訪ねたが、島に降り立つ時、
いつも何とも言えぬ感情が湧きおこる。
それは見知らぬ世界への期待とでもいうか、独特な感情である。
しかし不思議なことに、車で降り立つとこの感情が薄れる。
今回この感情を呼び起こしてくれたのは天売島。
北海道の日本海側に浮かぶ350人足らずの島だ。
周囲約12kmの島だが、レンタルバイクを借り、一周目で気になる場所を見つけ、
二周目にじっくりと見るという作戦で周った。
気になる場所の第一候補は、旨そうな店である。
情報誌などの予備知識は入れるが、最終的には自分の嗅覚で決める。
二週目を終えてバイクを返し、行った店は「番屋」。店名に離島感が漂っている。
バイクを置いてきたのは、当然ながら、酒が目的である。
屋外に2卓あり、薄暗い屋内にはバーベキュー用のテーブルが10卓以上並んでいる。
家族連れが屋外を占領していたため、誰もいない屋内を一人で陣取る。
オーダーを取りに来たのは、本土からバイトで来たと思われるきゃっぴきゃぴのお姉ちゃん。
「違うだろ!」と思わず心の中で叫ぶ。
この店にはエプロン、または割烹着姿の島のおばちゃんが似合う。
メニューを渡されたが、食す物は島に来る以前にすでに決めていた。
目指すは、ウニ丼。
しかもオレンジ色に光り輝くバフンウニ。
日本海側のバフンウニ漁の解禁は6月から8月。
9月から産卵期に入り、近付くにつれ味は落ちるという。
今日は7月23日。美味しいことを願う。
私がバフンウニに固執するのは、約20年前の礼文島の記憶が未だに抜けないからである。
海岸にせり出た遊歩道を歩いていると、
透き通った海水の底にたわしのようなバフンウニが2つ並んでいた。
周りに人がいないことを確かめ、素早く持ち去り、
レンタカーの後ろで車の工具を使い殻をこじ開けた。
(時効なので許しを願いたい)
たっぷりと詰まったオレンジ色の身を人差し指でほじくり、ほおばると、身体に戦慄が走った。
「今まで食べてたウニはいったいなんだったんだ!」。
その後、銀座等の高級鮨屋でもその味に出会ったことはない。
何故なら、空輸される段階で必ずミョウバンが投入されるか、
もしくは塩水漬けになるからである。
話は戻り、きゃっぴきゃぴのお姉ちゃんに「バフンウニはありますか?」
と尋ねると、首を傾げ黙って厨房に戻っていった。
(この女、バフンウニの凄さ、知らねえな)
数秒後に素っ気なく「ありませ~ん」と言われ、気落ちする。
しかしムラサキウニの丼は1600円。
酒のつまみのお刺身盛り合わせは1100円。
それはそれは見事な内容である。
普段めったに食べないトロサーモンが抜群に旨いことに驚いた。
刺身をほおばり、常温の酒を飲みながらレンタルバイク屋のおばちゃんとの会話を思い出す。
島の診療所についておばちゃんに尋ねると、以下のような内容を話してくれた。
・現在は70歳近くの先生が赴任している。
・その前の先生は島民から愛され6年間常駐していたが、
頑張りすぎて病気になり、島から離れその後他界したと聞いている。
・その先生が島を離れた後、半年ほど医師不在の時期があった。
・ドクターヘリは自衛隊を含め3ヶ所から来る。
・何でも診れる先生はいないのだから島民はそのことを理解するべき。
番屋から5分ほど歩いた所に診療所はある。
病院検索サイト「お医者さんガイド」によると、天売診療所は次のように掲載されている。
・診療科目:内科・呼吸器内科・消化器内科・循環器内科・小児科・外科
・診療時間:月~金8:30~12:00 13:00~17:00 土日祝休診
さらに違うサイトで調べると、
職員数は、医師1名、看護師1名、事務職員1名と記述されていた。
まさに最少部隊で戦っている。
こじんまりとした診療所の玄関に以下のような張り紙があった。
「診療所からのお知らせ
ケガや急な病気のときは、夜間、土日、祝日でも対応しますので、診療所にお電話ください。
なお、命にかかわるようなときは、119番にお電話ください。 診療所長」
昨年下甑島を訪ねたときの瀬戸上先生の話が蘇る。
「朝6時になると急に電話が鳴りだす。私の事を気遣い一晩中痛みに耐え、
この時間なら良いだろうと思い、電話してくるのが6時。
気にせず深夜でもよいからと言っても6時にかかってくる。島の人は皆忍耐強い」
天売島の先生も休日返上で働いている。
齋藤学とは長い付き合いだが、彼も患者の急変により旅行等中止することが度々あった。
医師を選択したからにはアクシデントに対する覚悟を持つのは当然なのかもしれない。
しかし、孤島で医師1人、看護師1人という体制の中、
覚悟を継続するのは相当なストレスを同時にもたらすのではないだろうか。
バイク屋のおばちゃんは、すべて医師に委ねてはいけないと言う。
確かに医師は一人の人間であり、オールマイティーではない。
でも私は、医師に「私に任せて」という言葉を期待してしまう。
へき地・離島の医師はどうあるべきか。
天売島は80万羽の海鳥が飛来するといわれている。
観測所近辺は幾万もの巣穴と、鳥の糞で一面白い光景が広がる。
自由に空を飛びかう海鳥は孤立した診療所をどのように見ているのだろうか。