三重県 『潮騒』の舞台

我が家には、1964年頃に発行された筑摩現代文学大系がある。

69巻からなる明治維新以降の日本文学作品の全集で、

読書好きの母親が購入した。

 

今は本棚の数段を占有しほとんど取り出すこともないが、

10代の頃は頻繁に世話になった。

 

多感だった私に最も影響を与えたのは三島由紀夫だった。

午後の曳航』の海の描写は圧巻だった。

そこには自殺を誘発させるような、不安を煽る夏の海の情景がある。

 

内容はジャンコクトーの『恐るべき子供たち』に通じる、

大人を否定する子供の残酷さを描くが、

当時の私は共感を抱いた。

 

仮面の告白』などの三島作品の屈折した毒は、

自己中心的な10代の私にとって、甘味飲料のようなものだった。

そんな三島作品の中に違和感を持った作品があった。

 

それは『潮騒』である。

吉永小百合や山口百恵らによる映画化もされ、

三島の代表作の一つに挙げられる。

 

しかし『潮騒』には毒がない。

『潮騒』の海は健全であり平穏である。

 

三重県には有人島が6島ある。

今回、間崎島、菅島、神島を巡ったが、

メインは『潮騒』の舞台になった神島である。

伊勢湾口には4島あるが、市営定期船で巡回することができる。

定期船を降り、数十メートル歩くと、

『潮騒』の記念碑が出迎えてくれる。

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2時間程で一周できる小島で、

民家は定期船乗り場周辺に集中している。

平地が少なく一人がやっと通れる細い石段や坂道が、

集落の至る所にあり、まるで迷路のようである。

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周遊歩道には『潮騒』の場面を説明したパネルが、

幾つも展示され、『潮騒』にかける意気込みを感じてしまう。

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集落の反対に位置する所に監的哨がある。

監的哨とは、昭和4年に旧陸軍が試射砲訓練の着弾点を、

確認するために建てたものである。

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「ずぶ濡れになった二人が小屋で、

火を焚き衣服を乾かす、そして・・・」

というストーリーは「北の国から」にもあったが、

その原点(?)が『潮騒』の監的哨である。

 

神島の診療所は漁港のそばにある、

神島開発総合センターの一階に機能を置く。

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常勤医の小泉医師は2009年の赴任直前、鍼灸の技能を習得。

その後も原則週1回、本土で開業する専門医の下で研修し、

耳鼻科と眼科の経験を積み増した。

離島やへき地はどの地域も高齢化率が高いが、

神島も島民440名の半数近くが高齢者である。

小泉医師は健康体操教室や脳トレ講座開き、

島民の健康推進を積極的に行っている。

 

離島振興対策本部長である遠山清彦衆院議員のホームページに、

本物のドクター・コトーとの出会い」という題で、

小泉医師を紹介している。

 

 

小泉医師のメール

 

日時:2012年2月27日

タイトル:神島診療所 小泉圭吾と申します

遠山清彦先生 御侍史

本日は神島診療所に視察に来ていただきありがとうございました。

診療所の現状を知って頂いてとても嬉しく思いました。

施設の改善についても言及していただけるとのことで希望がもてました。

ありがとうございました。

 

私は自治医科大学を卒業して9年目となります。

今年で義務年限が切れます。

ほとんどの自治医大生は義務年限が開けるとへき地勤務から市中の病院勤務にいく人が多いのですが、

私はこのまま三重県の離島に残り、診療所勤務をつづけたいと 考えております。

(医者の正規のコースとして異質なので反対もされますが・・・)

 

この神島が初めての診療所勤務、離島勤務でしたが 働き始めて、

この仕事こそ自分のやりたかった仕事であり、

自分をこの世で役立たせることのできる仕事ではないのかと思えるようになりました。

 

毎日、医者をしていてとても楽しいですしいまでは天職ではないかと思っております。

ここに来てわかったこと、それは離島診療所は クラシックな

お医者さんを作るにはうってつけの教育機関ではないかということです。

 

離島診療所では医療資源が限られているため

検査がたくさんできるわけではありません。

精密機械がたくさんある都会で行われている医療とは 対極にあります。

 

病院では機械があるためどうしても、それに頼ってしまいがちですが

離島診療所には機械がないため 病歴聴取(患者さんの話をよく聴く)

身体所見(患者さんの体をさわり異常を感知する)で何とかしなければいけません。

 

そして、一人で島のみんなを守らなくてはいけないという責任感。

初期救急から、眼科、耳鼻科、整形外科、皮膚科、小外科 往診、看取りと

昔の医者なら全部やっていたことを 専門がどうこうとか言わずにやらなければいけない。

 

住民の方たちと同じ所に住むことによって

普段の患者さんの様子を知ることができ、

患者さんの「病気」だけをみるのではなく

きちんと物語を持った「人」として診れるようになる。

 

神島に来て、こういうことを感じられるようになりました。

私は将来、三重県の離島を使って

若い医者が数ヶ月でも診療所に勤務することにより

病歴聴取や身体所見の重要性を理解し

一人でみんなを守るやりがい、

患者さんの人生に沿って診させて頂く嬉しさを

感じることのできるプログラムを作りたいと思っております。

 

若い医者が定期的に来ることになれば

離島の人たちも医者がいなくなることに不安を抱かなくても良くなります。

 

三重県の離島はどれも素晴らしいところです(神島が1番ですが・・・笑)

島に住む人達が喜ぶことなら私でできることなら何でもさせていただきたいと思っております。

今後とも三重県の離島をどうぞよろしくお願いいたします。

神島診療所

 

ゲネプロのビジョンに

「へき地・離島で一人前に働ける医師になること」とあるが、

ポイントは「働く医師」ではなく「働ける医師」という表現である。

「働ける」とはへき地・離島で通用する技量を持つことであり、

働くかどうかは個人の判断に委ねるしかない。

しかし通用する技量を身に着けるためには、

また、技量を確かめるためにも、へき地・離島での実施は不可欠である。

 

離島での島民との関りは、医療的見地からも重要な項目になる。

その観点で長期的滞在はベストであり、島民の願いでもあるだろう。

 

下甑島では瀬戸上先生の退任を巡り、

島民の署名運動が起きている。

37年、島に人生を捧げた先生は島の宝である。

 

小泉先生もそのような人生を歩むのかもしれない。

 

誤解を恐れずに発言するが、

二人の先生の生き方は特別であり、

誰にでも真似ができることではない。

 

長期的滞在型を基準にすると、

医師の離島離れは永遠に解決されない。

 

だからと言って、

「海がきれいだから」

というような物見遊山的発想もいただけない。

 

何かこの中道、

言うなれば質の高い医師による短期滞在の連鎖。

これが実現するシステムをゲネプロは模索している。

 

神島に訪れた17年後に三島は自決する。

昭和28年、三島の目に映った漁師たちの姿は、

きっと眩しかったに違いない。

 

『潮騒』のプロットはギリシアの小説を基にしている。

 

三島は人生の最後にギリシア悲劇を演じて見せたのか・・。

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