香る小豆島
土庄(とのしょう)のフェリーターミナルはごま油の香りがした。
内海町(うちのみちょう)を走行すると、風と共に醤油の香りが漂う。
オリーブの香りは残念ながら感じられなかったが、小豆島には香がある。
半年前と今回の2回で小豆島八十八カ所巡りを結願した。
車での参拝ではあるが、車両進入禁止の地域は多く、集落を散策することになる。
京都や奈良の大寺院とは違い、小豆島の寺院は地域に溶け込んでいるがゆえ、
島民の生活がしのばれる。
60番の江洞窟(こうどうくつ)の宮城庵主は強烈な印象を残した。
現在95歳だが、80代に高野山大学で僧籍を取得した。
英語を交えたジョークを言うのだが、
宮城庵主は戦後GHQで勤務をしたという稀有な職歴の持ち主である。
マッカーサーは日本の最高責任者である天皇を赦免した。
それは天皇の人間力を見抜いたからだと宮城庵主は言う。
マッカーサーが日本を離れる時、
多くの日本人が日比谷公園に集まり泣いたという話も聞いた。
そういえば私の両親も戦後積極的に社会運動を行った2人だが、
マッカーサーの悪口はついぞ聞いたことがない。
マッカーサーが人格者だったかどうかは私にはわからないが、
天皇の赦免、戦勝国でありながら敗戦国で人気を得られたのも
アメリカの戦略のように思えてならない。
宮城庵主はGHQ勤務後商社に入り、イラクを活躍の場とした。
私と写真を撮るとその場でプリンターを作動し、ノートに写真を貼りつけていた。
95歳とは思えぬ機敏な動きである。
時間があれば数日にわたり話を伺いたい人物である。
洞窟の中に大日如来を表した梵字の「ア」を安置した光景と、
昭和の唱歌を口ずさんでいた宮城庵主との出会いは一生の思い出になるだろう。
小豆島は1周126キロ、人口約29,000人の島である。
ベッド数116床の土庄中央病院と196床の内海病院が西と東に分かれ、
島民の健康を担っていたが、
その2つの病院の中央にある小豆島町池田に、新病院が建設中だったのを半年前に見た。
信託銀行に勤務している友人から聞いた話だが、
かつて小豆島の高齢者の多くが、グローバルソブリンという投資信託を購入し、
分配金で年金等を補完して豊かな生活を送っていたらしい。
投資関係者は小豆島をグロソブ島と呼んでいた。
その話もあり、新たな病院を建設していることに島の豊かさを感じたことを思い出した。
しかし今回、病院事情を調べてみると違う側面が見えてきた。
西と東に分かれた病院は、
今年4月にオープンする小豆島町池田の新病院に統合されるのであり、
ベッド数も減り集約化を図る。
理由の1つは医師の島離れであるという深刻な問題が近年起こっている。
小豆島唯一のへき地診療所を訪ねたが、
診療所の看板は外され週2回の巡回診療となっていた。
これも上記の理由ゆえに起こったのだと推測できる。
もう1つの理由は、2035年には島の人口は6割弱になると予想されているからである。
小豆島は香川県で高齢化の先頭を走り、人口は毎年500人ずつ減っている。
このような状況下では2つの公立病院を存続することは難しく、
統合により国や県の支援を一本化する判断をしたのだと考えられる。
土庄港フェリーターミナル前のオーキドホテルに宿泊した。
フロントで歩いて行ける近隣の飲食店を訪ねると、この辺りは3店舗しかない、とのこと。
ネットで調べるとかなりの悪評が1店。記載なしが1店。
消去法で「すなみ」という店で飲むことにした。
店に入ると薄暗いファミレスのような雰囲気。
メニューで酒類を見ると、
思わず「何の?」と叫んでしまった。
ちなみに麺類を見ると、
「何故?」ともう一声。
さらにサーロインステーキは2620円だが、
サーロインステーキセットは980円。
和牛とオージーの違いだろうが、
まさにおすすめ品だ。
子供に媚びない姿勢も好印象。
そもそも何でお子様なのか。
人の金で食べてる子供に「様」をつける必要があるのか。
そう考えると「子供ランチ」は正しい。
今まで知り合いの赤ん坊を見て、
「可愛いですね」と嘘を言ってきた自分が恥ずかしい。
この店にはポリシーがある
パイナップルファンタジが何者かは知らないが、
フルーツサンデには潔さを感じる。
そういえば「私は~」とか、「だから~」などの、
あの伸ばす言葉遣いには、いつも悪寒が走っていた。
まるで世の中と隔離されたようなこの店には、
昔ながらの香りがある。
知らない土地での醍醐味は、ここにもある。