卒業生 大野 史郎 先生

"あらゆる医療ニーズに応えようと奮闘した"という経験が、血肉となって医師としての自分を支えてくれる。

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大野 史郎

Shirou Ono

ゲネプロ3期生

卒業年度 2009年
研修参加時 PGY11
専門分野 感染症専門医、総合内科専門医、国際渡航医学会認定医療職(CTH)
研修病院 高知・大井田病院
卒業後 研修後、奈良県立医科大学附属病院に復職。国際保健分野への挑戦と、研修医教育などに尽力している。

必ずしも医療分野でなくてもよかった

京都大学の総合人間学部を卒業後、医学部に再入学。なぜ医師に?

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はじめに所属したのは「人間環境学研究科 人間学科」という名称で、一言でいえば「人間に関係する(と主張できる)ことなら、なにをやってもOK」な場所でした。(今はどうかわかりません。あくまで昔の話です、念の為)

そこでユーゴスラビアの紛争はじめ国際政治学や社会学、精神分析学など主に学びました。そのまま大学院で研究を続けようとも考えましたが、徐々に「現場と離れたところで人間のことを考えるより、もっと直接的に関わって自分のしたことの影響をはっきり感じられる現場で働きたい」と思うようになりました。

今考えてみると必ずしも医療分野でなくてもよかったのかもしれませんが。

そして医学部に入り医師になり、初期研修中の2ヶ月間は離島に。これがへき地医療に関わった最初の経験です。研修初日に「日本一忙しい研修病院を目指している」と告げられ、その言葉に違わぬ大変さでした。それでも、必死にできる限りのことをして、多少なりとも直接感謝を伝えてもらうという経験ができたからか、心理的に辛い思い出はありません。

それ以降、国内外とわず医療資源との乏しい地域で働いてみたい、働ける能力を身につけたいという想いは常に持っていました。

「慣れない手技」をすることはまさに望んだこと

高知県の大井田病院での研修はでどうでしたか?

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1年を通じて週2回の外科外来の研修を続けました。

もちろん初めはできないことも多いし、できても下手くそだし、と満足いくものではありませんでした。多少は落ち込みもしました。

ただ私はそれまであまり経験ができなかったことを学びたくてゲネプロおよび大井田病院を選んだので「慣れない手技」をすることはまさに望んだことでした。

また常にバックアップのある体制で教えてもらえる、というのは非常に貴重なことです。医師としての経験年数がある程度になると、その様な場はなかなか得られません。

今でも役立つ研修内容の多様性

大井田病院での研修の良いところはなんでしょうか?

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研修内容の多様性です。

院内では一般内科・外科外来・入院診療のほか、リハビリ入院の主治医、訪問診療など、外来〜入院〜在宅、まで一貫して経験することができました。院外研修も豊富で、希望すれば産婦人科、整形外科、眼科も研修できました。

もちろん研修分野の全てに習熟はできませんが、普段の診療を行うなかで「ちょっとこれができれば日常診療の質が高くなるのにな…」ということを学ぶことでできて、非常に有意義でした。妊婦さんへの初期対応、ウイメンズヘルスなどは、今でも役立っています。

居酒屋で店の手伝い  人生で最もお酒を飲んだ時期

先生は、ご家族を置いて単身赴任でしたよね。

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末っ子はまだ8ヶ月でしたし単身赴任は寂しくはありましたが、院長、事務長の計らいで2ヶ月に1回は1週間の帰省ができましたし、ワークショップの途上で奈良に寄ることもあり、結局毎月家族に会うことができました。

元々1人で過ごすことは苦にならない方です。地元の魚で料理をしてみたり、原付で足摺岬、ジョン万次郎記念館も行きました。研修期間の半ばからは、地元の居酒屋さんの方に目をかけてもらって、お店の手伝いをしたり、常連さんと飲んだり、と地元の方と過ごす時間が増えました。最後のひと月くらいは人生で最もお酒を飲んだ時期かもしれません。

結局休日にちゃんと勉強していたのは初めの頃だけで、途中からは遊んでばかりでした。でもその方が良い時間だったと信じています。

選択研修はバングラデシュに

どのような経験をされてきたのでしょうか?

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私立大学附属病院の、新設移転のプロジェクトに関わりました。

日本からJICA、医療・病院コンサルタント会社が関わり、半官半民で日本式に習った病院を立ち上げる計画です。私の他に、医師がもう1名、薬剤師も日本からきていたので、そのチームで院内のシステム作りに対応しました。

各種マニュアル作成、外来に常備する薬品の選定、ICUはじめ病室、診療室の機器レイアウトなどから、現地医師の採用面接まで、「ここまで関与していいのかな」と思うくらい、とりあえず何か医療に関わることがあれば呼ばれて対応していました。

その中でも最も深く関わったのが、ER診療でした。エコーの機械は院内に数台しかなかったのですが、ぜひERに置いてほしいと主張して、無事設置できました。そのエコーで数名骨折の診断ができ、現地の医師にもとても喜んでもらえました。

現地のスタッフと雑談をする時間も長く、いろんな話ができました。宗教習慣に基づく心理的な負担や経済的な問題、さらにはお弁当のおかずの話まで…。この滞在を通じて、普段自分が行なっている日本の医療を相対化する視点を得たことも有意義でした。

長い時間をかけて血肉となり自分を支えてくれる

研修後、大学病院に戻られました。ゲネプロでの研修を経て、変化はありましたか?

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周囲の人には変わった様には見えないかもしれませんが、自分では変わったと思います。

外来、初期診療からリハビリ、在宅まで経験したことで、目の前の患者さんについて考える時間軸が長くなり、治療することと並行して、生活面への配慮、ひいては年単位でその患者がどう変わっていくか、時には終末期まで考えて本人、家族に話をする様になったと思います。

診療面では「以前より少し気が利く」様になった気がします。外来患者からのちょっとした相談に今までより一歩踏み込んで話ができる様になったり、簡単な処置なら自分でその場で済ませてしまったり、といったことです。例えば、定期通院の際についでに指に刺さった棘を抜いたり、救急受診した妊婦さんについでに胎児エコーで胎児の状態を確認、胎児の写真をあげたり…。 いずれも些細なことではあります。私が行う必然性はなくても、自分で完結できれば、患者さんの利便性も満足度も高まる、というようなことです。

自身の研修終了後もゲネプロとの縁を頂き、研修中のレジストラのクリニカルビジットに関わっています。レジストラに対しては「1年(ないしはそれ以上)の期間を、いわゆる離島•へき地で過ごした、そこであらゆる医療ニーズに応えようと奮闘した」という経験が、すぐに目にみえる結果ではなくても、長い時間をかけて血肉となって医師としての自分を支えてくれるでしょう、ということを伝えられたら、と思いっています。実際は、一緒にお酒飲んでわいわい言ってることが殆どですが。

不確実性こそがゲネプロの魅力

プログラムに応募しようか迷っている先生にメッセージをお願いします

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一言でいえば「そのリスクの高さ」こそがゲネプロの魅力です。ここでいうリスクとは「危険」という意味ではなく「振れ幅が大きい」「研修前の時点では、研修後の自分がどうなっているか想像しきれない不確実性がある」という意味です。

多くの研修プログラムは「これだけの期間研修すれば、修了時にはこうなれますよ」と掲げています。もちろんゲネプロも最低保証としてその様な像は提示しますし、仕事•研修はしっかり行うので、へき地で必要な診療技能はきちんと身に付きます。ただ。それでは収まりきらない変化が起こるのがゲネプロの研修です。

病院だけでなく、その地域に深く入ることで得られる交流や気づきもあるでしょう。レジストラの同期も、先に修了したOB/OGも本当に多様です。その人達との交流も貴重な経験です。

「どんなことが起こるか分からない1年間の研修」なんて、聞いただけでワクワクしませんか。

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ゲネプロの研修プログラム

Rural Generalist Program Japan : RGPJ

業生の声