卒業生 青木 信也 先生
ずっと延期していた「地元で地域医療」の夢。オーストラリアの“Rural Generalist”という言葉に惹かれた。
青木 信也
Shinya Aoki
ゲネプロ1期生
卒業年度 | 2007年 |
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研修参加時 | PYG11 |
専門分野 | 救急専門医・プライマリケア連合学会認定指導医 |
研修病院 | 長崎・上五島病院 |
卒業後 | 千葉県のへき地で地域に求められる医療の最適化・Rural Generalistの育成、研修医教育・亀田総合病院での自己研鑽・オーストラリアで学んだフレキシブルな働き方の実践。 |
Rural Generalistになりたい!家族にプレゼン
どのような経緯でゲネプロに応募しましたか?
医師になろうと思ってから15年ほどずっと夢に見ていたことは「地元で地域医療をする」ことです。地元を離れ、湘南や北海道でトレーニングを積んできたのですが、その中で、公立病院の難しさも感じ、夢の実現をずっと延期していました。
そうした中、プライマリケア連合学会総会でゲネプロのフライヤーを見つけたんです。ずばり「Rural Generalist」という言葉に惹かれました。
というのも、そのとき勤めていた北海道の松前町立松前病院の木村先生がオーストラリアの学会に参加し、Rural Generalistたちに会っていたのです。帰国後すぐに「オーストラリアにはRural Generalistという専門医がいて、とても勢いがあって面白かったよ。お産までやるんだよね。」と言っていたので、言葉は知っていました。
日本語で表現される「総合診療医」や「プライマリケア医」だと、なんとなく自分が今やっていることや、将来やっていきたいことにfitしない言葉だと思っていたので、Rural Generalistは「あ、一番しっくりくる」と…。フライヤーを見て、とても興味をもちました。
一度、本場のRural Generalistを見てみたい。そして、日本で自分流にトレーニングをしてきたけれど、差があるのか、もし違いがあるとするとどんな点なのか…
フライヤーを見つめながら自宅に帰る新幹線の中で考えていたのは「どうやって家族にプレゼンをするか」。 5時間考えたプレゼンを家族にして、翌日にはゲネプロに連絡をしました。
日本とオーストラリアの違いは…
上五島の研修後、念願だったオーストラリアでの選択研修へ旅立たれました。
英語圏での生活や留学に憧れはあったものの、英語の学習はしていませんでしたので、ゲネプロの研修中は朝5時頃からオンライン英会話を医局でやるなど猛勉強しました。
上五島病院での研修を経て、選択研修で行ったオーストラリアの3ヶ月間はとても有意義でした。
もともと私は、地域で働く総合診療医になるために日本とオーストラリアでの教育の違いや、働き方の違いを知りたいと思っていたので、4ヶ所の病院や診療所での研修を組んでもらいました。
一言で違いを述べると「個人能力依存型の日本と、システム整備のオーストラリア」だと思います。日本の離島やへき地では、とても優秀な先生がいる一方で、医師の能力差があります。そのため医師が転勤や不在してしまうと地域で担保される医療が大きく変わってしまいます。
オーストラリアではそうならないように、システムや教育でカバーしているのです。達人のような医師の割合は少なくても、みんなが一定の医療の提供ができ、搬送手段の効率化などで都市部へのアクセスを担保していました。あと印象的だったのは笑顔。望んで地域での医療者になりたいと思っている医師が多かったです。このあたりも、働き方が影響していると感じました。
離島でここまで出来るのか!
研修先の上五島病院で印象に残っていることを教えてください。
印象深かったのは、この島で出来ることを最大限行う姿勢や、その為に学びを深めていく姿勢でした。上五島は大きな離島だったので、島で完結しないといけない医療の幅がひろく、また島民から求められる医療の質が高いという地域性も背景にあったと思います。
ERCP、癌の手術や抗がん剤治療、骨盤骨折の手術など離島でここまで出来るのか?とそれぞれの先生方の勉強熱心なところや手技の幅広さに驚きました。また、看護師も勉強熱心な方が多く働きやすかったです。
勤務時間という概念がないぐらいに患者のために病院に残って仕事をすることが当たり前になっていて、家族で島に学びに来た私は家族の時間がなかなか取れず、仕事と家庭のバランスを取るのが難しかったです。ただ、当時、提言をさせてもらったので、今はだいぶ変わったとうかがっています。
上五島では私よりも若い先生方が指導して下さることもありましたが、外科のことや麻酔のことは私のほうが当然知識や経験が少なかったので、謙虚に学ぶ姿勢を持ってチームに加わりました。逆に救急のことなどは、こちらから共有させていただいたりして、互いに刺激をもらっていたところもありました。
家族で経験した上五島・オーストラリア
上五島だけでなくオーストラリアも家族同伴だったんですよね。
上五島病院で研修を行ったときは、子供が3人(5歳3歳1歳)でした。今思えば、親族や友人がいない地域で限られた1年の生活ということで妻はとても大変だったと思います。
上五島のときは私自身も余裕がなく必死でしたので朝5時頃には家を出て、帰宅するのは夜の9時前後という毎日でした。土•日も病院に行くことが多かったのですが、休みの日には、官舎の同世代の子供たちと一緒に遊んだり、家族で島内ドライブをしたり、釣りやきれいな海で泳いだりと楽しみました。
オーストラリアでは、300kmほど離れた地域を3ヶ所移動しながらの研修でした。フライパンや鍋など必要最低限のものをスーパーで購入しながら、レンタカーにギュウギュウにつめて5人で移動でした。
ある地域では1ヶ月だけでしたが長男を地元の小学校に通わせていただいたりして、学校生活を通じて教育の違いなども感じました。移動式サーカスを見に行ったり、恐竜博物館(発掘場所)に行ったり、公園でBBQしたり…と、生活をするように旅行をした感じでした。
研修自体は時間的にゆとりがあり家族時間も多かったですね。現地で知り合った医療系ではない日本人家族と仲良くなって食事をしたり、シンガポール人の非常勤医師夫婦とも仲良くなったり、今でも交流があります。
期間限定こそがゲネプロの魅力
プログラム応募に迷っている先生方にメッセージを
医局など関係なく全く新しい土地で1年間という決まった期限の中で学ぶチャンスはなかなかありません。
多くの地域では、飛び込んだは良いが、期限のない勤務期間であり、合わなかったとき、さらにはもう一度そこで学びたいと思ったときに学びにいく環境が整っていないことが多いですよね。
ゲネプロでは、限られた期間の中で「今の自分に何ができるのか」、さらに「何が足りないのか」を確認することができます。また、プログラムの中で何を学ぶかを指導者と共有して過ごせる環境もとても素晴らしいと思います。
同期はそれぞれ学年も年齢も異なりますが、離島・へき地で役にたつ医師になるという強い思いで集まっています。そんな同志はとても貴重な宝物になります。
人生においてたった15ヶ月です。でも、その15ヶ月で得られるものはとても多いです。ぜひ、迷っている人は、一度連絡をしてみて下さい。
ゲネプロに入る前、湘南鎌倉病院や北海道のへき地の病院で学んだことや、ゲネプロの研修を経て体得したユニークな働き方など、もっと詳しくお話を聞いた青木先生のインタビュー全編もぜひご覧ください。