卒業生 室原 誉伶 先生
診療科を絞りきれなかった自分。離島は医療者としての喜びを感じられる場所だった。
室原 誉伶
Homare Murohara
ゲネプロ2・4・5期生
卒業年度 | 2015年 |
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研修参加時 | PGY4 |
専門分野 | 総合診療・離島医療 |
研修病院 | 長崎県上五島病院・鹿児島県手打診療所 |
卒業後 | モンゴルでの研修を終えた後、整形内科を学びたいと隠岐郡西之島の隠岐島前病院で勤務。その後、鹿児島県の甑島の手打診療所の副所長として2年間のRGPJ再研修を積んだのちに現職(所長)に着任、離島医療の実践と地域の課題解決に取り組む。 |
ひとつの診療科に絞ることができなかった
ゲネプロのプログラムに応募した経緯を教えてください
僕は当時3年間の初期臨床研修を特徴としていた河北総合病院で初期臨床研修を行いました。
他の研修病院では1ヶ月程度しかローテーションできない診療科を3ヶ月ずつなど長期でローテーションすることができました。そういったこともあり、内科、外科、整形外科、小児科、産婦人科などあらゆる診療科の楽しさを学びました。
当時は旧専門医制度だったので、初期臨床研修後は専門研修に入るプログラムが一般的です。しかし、どの診療科も楽しかったので一つの診療科に絞り切ることができませんでした。そんな中、自分の将来をゆっくり考えるためモラトリアムが欲しいと思いゲネプロに参加させて頂くこととなりました。
専門医が総合内科的に全身を診る理想的な形
上五島病院ではどのようなことを学べましたか?
初期臨床研修病院が東京にあったこともあり、都会の医療しか知らなかった自分には驚きが多かったです。
当時は医師4年目。上五島病院では内科で研修をさせて頂きました。内科は総合内科という形で、内科系全般の診療を行いました。指導医の先生たちは、内科全般を診ながらサブスペシャリティという形で専門医と同等のスキル・知識を持った診療科目も持っています。そのため上五島病院の内科では都会の病院とそん色ない検査・治療を受けられるという印象でした。
むしろ専門医が総合内科的に全身を診てくれるという理想的な形なのではと感じました。初期研修医時代に学んだ知識を総動員して改めて学びなおせる良い期間だったと思います。僕自身も胃カメラの手技を経験することができたことは大きかったです。
また医局の垣根も低いため、整形外科の外来陪席や外科の手術前の麻酔の挿管、ブロック注射など他領域についても学ぶことができました。
人生をどう豊かに過ごすかも、教えてもらえた
その後、隠岐西之島の隠岐島前病院へも行かれましたね
初期研修医時代に、救急外来にぎっくり腰など腰痛患者がきても痛み止めを処方することしかできず痛みも十分取り切れない。そのまま転院先を探して終わるみたいなことが多く、医者としてふがいないなと思っていたこともあります。それで、初期研修医時代に少し学んだハイドロリリースなどをしっかりと学びたいと思い、隠岐島前病院の白石先生のもとで勉強したいと考えました。
隠岐島前病院は総合診療医のみです。そのため、小外科や整形外科疾患についても診療をしていました。
超音波診療を用いた整形内科領域も学べただけでなく、中規模離島での地域連携の推進や病院運営についても学ぶことができました。
上五島でもそうでしたが、離島での私生活をどう楽しみ切れるかも面白かったです。各離島で出会う先生方はその環境を最大限楽しんでいるようでした。都市部にはない環境を楽しみ、人生をどのように豊かに過ごすか。そんなことも教えてもらいました。
3ヶ月の選択研修でモンゴルへ
研修では臨床をしつつ語学の勉強、ゲネプロのウェビナーもあり、かなり大変だったのでは?
上五島病院での診療は楽しくもあり大変ではあったので、他の事に充てる時間は正直あまりありませんでした。日々の診療・ウェビナー・家族との時間など、自分のなかで優先順位をつくって優先度が低いものは参加しないなどしていました。
例えば、僕は3ヶ月の選択研修ではモンゴルに行かせて頂く予定だったので、英語のウェビナーは欠席していました。
モンゴルではJICAの『モンゴル国一次及び二次レベル医療従事者のための卒後研修強化プロジェクト』のチーフアドバイザーを務められてた井上信明先生にお世話になりました。エルデネトというモンゴルの地方都市にある病院で、同プログラムに使用する教材を現地の医師達が作成することを支援する取り組みをさせて頂きました。
JICAの通訳の方にもたくさんお世話になりましたが、言葉が違う地域で仕事をすることの大変さを経験することができました。
足りないことを認め、工夫することで豊かさが生まれる
現在は鹿児島県の甑島の手打診療所の所長に。離島の生活はどうですか?
0歳から7歳まで、4人の娘を含めて家族6人で生活しています。家の目の前が砂浜ということもあり、休日は家族と海に行ったりのんびりして過ごしています。地域でお米作りをやらせてもらったり、妻もビワ畑を借りてビワを作ったり…。農業を通して地元の方々との繋がりもでき、子供達含めて地域の方々に助けてもらいながら生活しています。
離島は都市部と比較して、あらゆるモノが不足しています。一方で、足りないことを認め、そこから何ができるかを工夫することで豊かさが生まれています。これは日常生活だけでなく医療でも同じです。目の前の患者のニーズに答えるために、自分に何ができるのか。チームで考え、実行し、見事ニーズに応えることができたときに医療者としての喜びを感じる瞬間があります。
医療者としての喜びを感じられるそんな場所に飛び込めるチャンスがゲネプロにはあります。是非ご参加ください。
現在の甑島手打診療所での離島生活や、モンゴルでの研修など詳しくお話を聞いた室原先生のインタビュー全編もぜひ参考にご覧ください。