出雲大社

「大降りだった雨が19時の開催前にピタッと止んだ。

荒垣内には招待客しか入れない。

私たち一般人は1500人収容の特設テントで

大画面のモニターに映る神事を凝視することになる。

まるで画像の悪い無声映画を観ているようだ。

かすかに写る神官に合わせ多くの観客が柏手を打ち礼をする。

一言でいえば異様な光景である」

これは3年前の5月10日、

60年に一度の「平成の大遷宮」出雲大社での出来事である。

出雲大社 鳥居

新聞によると12000人が詣でたらしい。

日本人は無宗教と言われるが私もその一人である。

では何故出雲に出向くのか。

私は日本人の代表ではないが、

私個人のことを言うなら半分は好奇心、

残りは伊勢神宮の遷宮もそうだが、

私の中にあるDNAが騒ぐという表現がぴったりする。

日本人的気質なのかどうかはわからないが、

お祭りと同種の高揚感が遷宮にはある。

さらに付け加えるなら、

伊勢神宮は表、地理的条件もあるが出雲大社は裏のイメージを持つ。

 

全国にある祭りの原型は「祇園祭」にある。

平安時代、天変地異や疫病は怨霊の祟りだと考えられ、

その怒りを鎮めるために牛頭天王を祀り「御霊会」が行われた。

その「御霊会」が現在の「祇園祭」である。

本来「祇園祭」は牛頭天王を八坂神社から御旅所に移動し

そして元に戻る行事である。

この形態は遷宮に酷似している。

さらに興味深いのは明治以降、

八坂神社の主祭神牛頭天王はスサノオに変わっている。

なぜ?

 

出雲大社の祭神はオオクニヌシ、スサノオの直系である。

スサノオは高天原を追い出され、オオクニヌシはアマテラスに国を譲る。

スサノオ系のこの虐げられた感は一体何を意味しているのか?

大和朝廷が渡来系一族により成立したなら、

スサノオ系は迫害された一族又は民の象徴となり、

『古事記』は隠された裏の歴史書といっても良い。

 

私は各地を訪ねると、

このように根拠のない妄想を勝手に抱き、

「ふーむ、何か怪しい」と、

ホームズのごとく嗅ぎ回る。

さすがに虫眼鏡を持って境内を徘徊はしないが、

出雲大社には怨念というか、

虐げられた歴史を感じてしまう。

 

もう一つだけ私の嗅覚に触れたものを述べさせてもらう。

元々出雲大社は出雲国造家が取り仕切っていたが、

南北朝時代に出雲国造家は千家家と北島家に分裂し、

両家が交互に職務を果たし幕末まで続いていた。

しかし明治時代になると千家家の独占となる。

出雲大社の本殿の手前左側の門を出ると千家家の神楽殿があり、

その豪華さは出雲大社本殿をも上回る。

神楽殿

 

右側の門の先には出雲大社北島国造館がある。

北島家

ひっそりとした佇まいで、ここを訪ねる観光客は僅かである。

一体千家家と北島家の間に何があったのか。

興味は尽きない。

 

出雲といえば出雲そば。

出雲大社近隣には、「荒木屋」などの江戸時代から続く老舗があるが、

蕎麦そのものを食べたいときは松江に足が向く。

出雲蕎麦ふなつ」「神代そば

この2店は、参拝ついでに来るのではなく、

この店を目指してくる客が多い。

居酒屋で気に入ったのは、安来駅前の「居酒屋かば」。

米子の「居酒屋かば」に行ったら、満員で入れず、

安来駅前本店を紹介してくれた。

本店に到着すると店長らしき人が、

「私どもの店を二回も選択して頂き、ありがとうございます」

と礼を述べて、刺身の盛り合わせをサービスしてくれた。

それも半端じゃない量。

旅先でのこのようなおもてなしは、その土地の好感度をひきあげる。

 

島根県の海岸線はとにかく長い。

山口県から向かうと左側にこれでもかと海岸線が続く。

 

途中、津波が来たら大丈夫?と思わせる家があった。

波打ち際の家

 

道の駅「夕日パーク三隅」を越えた折井駅の裏手に大麻診療所がある。

週3回午後だけの診療で、内科と心療内科。

大麻診療所1

大麻診療所

 

齋藤学から離島医療について教えてもらう際に、

よく登場する名前がある。

その方は隠岐島前病院院長の白石先生である。

想像でしかないが白石先生は齋藤学が目指す離島医療を、

すでに体現されている方だと思える。

齋藤学は医師である。ならばどこかの離島に落ち着き、

そこを改革していくのも一つの方法である。

しかし齋藤学はその道を選ばない。

齋藤学の関心は、白石先生のような医師がどうすれば今後増えていくのか、

また離島やへき地で通用するためには何が必要なのか、であろう。

それは扇を広げたように、線から面を作るのであり、

一筋縄でいくものではない。

その実現のためにへき地医療の先進国であるオーストラリア、

さらにモンゴルでは、

広大な原野を流浪する民はどのように訪問診療を受けているのか、など

尋常ではない行動力で長期にわたり視察をしてきた。

近くにいてその行動力にはただただ脱帽してしまう。

 

齋藤学は「汗を流す」という言葉をよく使う。

体育会出身ということもあるのだろうが、

救急医として汗を流すような体験を何回もしたのだろう。

専門医のいない離島では、本土の先輩や専門医に症状を報告しながら、

目の前の患者さんと向き合ってきた経験も度々あっただろう。

その時の一粒一粒の汗が今の齋藤学を構成してきた。

 

医療について浅薄な知識しかない私には、

齋藤学の目指しているものが、

医師である齋藤学にとって是なのか非なのかは正直わからない。

しかし齋藤学の情熱は有無を言わさない説得力がある。

この説得力の前には、私の是非の判断などは何の意味も持たない。

 

神官に合わせ柏手を打つ。

信じるものに対して行う尊い儀式だと今は思える。

 

今日も宮島氏と私は柏手を打つ。

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