天孫降臨 宮崎

全国を周っていると、面白いものにたびたび出会う。

その1つに「我が地こそ○○の発祥の地なり」というものがある。

一般的に源平合戦の壇ノ浦といえば下関だが、

香川県の鼻息もなかなか荒い。

私がもっとも多く出会ったのは、天孫降臨の高天原である。

鳥取、長崎、熊本、奈良などの説があり、

新井白石は「高天原は常陸国なり」と言っている。

調べてみると茨城県鹿島市に高天原という地名があるのは興味深い。

そもそも高天原は神の住む地であり、

神話の世界なので現在の地を当てはめることに疑問を持つが、

当時の人たちがどの地を思い浮かべていたのかを想像するのは面白い。

そして最も激戦を繰り広げているのが、

宮崎県にある高原町と高千穂町である。

以前高千穂町の天岩戸神社を訪ねた時の宮司さんとの会話を再現すると、

川向こうの茂みを指差して

「あそこに天岩戸があります」

「本当ですか?」

「本当です」

「見たのですか?」

「・・・見ました」

「どのくらいの大きさですか?」

「えっ?!」

こんな感じであった。

奈良の葛城町の高天原を訪ねた時は、

私が勝手にイメージしていた高天原に近いものがあった。

私がイメージしている高天原とは、

武装したアマテラスがスサノオを待ち受けるシーンである。

地響きを立てながら高天原に昇ってくるスサノオ。

弓矢でその一点を狙い「何しに来た」と大声で叫ぶ。

ここには天岩戸に閉じ篭ってしまう、か弱い女神の姿はない。

その後「ウケヒ」の話へと進むのだが、

私は『古事記』のこのシーンが最も印象に残っている。

 

高千穂から延岡に向かうつもりだったが、

遠回りをして飯干峠へと向かう。

日本最後の内乱である西南戦争で、

敗走する西郷隆盛軍はこの飯干峠を越えた。

険しい峠道は敗戦を覚悟した西郷軍に、

追い討ちをかける試練を強いたのではないだろうか。

 

飯干峠を越えると諸塚村に入る。

役場近くにあるはずの診療所がなかなか見つからない。

昭和30年に設立された診療所は、

平成24年にリニューアルされ移転したことがわかった。

諸塚診療所 合体

内科、小児科、外科を有し、19床の病棟を持つ。

CTも兼ね備えており、救急診療所の認定も受けている。

一日あたりの平均患者数は、外来60名、入院約10名程度。

「地域住民医療相談室」を開設し、

軽症認知症の早期発見に重点を置きながら、

在宅医療への取り組みを進めている。

国民健康保険諸塚診療所ホームページより抜粋)

村民1,700人台の諸塚村は、椎茸栽培、林業を主な産業としている。

諸塚村産直住宅にも力を入れ、診療所は諸塚産の杉で建設された。

 

延岡から6キロほど離れている浦城海水浴場を抜けると、

島浦島に至るフェリー乗り場がある。

リアス式海岸に囲まれた島浦島は周囲15km、

人口925人(平成28年4月現在)、

地元の人は親しみをこめて「しまんだ」と呼ぶ。

昔は「鰯の舞う島」と言われたほど漁業が盛んであった。

島民が定住したのは江戸時代の頃と言われているが、

徳島からの移住者が多いらしい。

 

島の神社に向かう途中に公園があり、

いつもの習慣でそこにあるトイレの中を確認した。

”まあまあ綺麗だ”

少し離れたベンチに日向ぼっこをしているのか、

おばあさんが座っていた。

この島の人は陽気である。

すれ違う人がみな挨拶をしてくれる。

神社で参拝を済ませると、

一人のおばあさんが話をしたそうな顔つきで近付いて来た。

挨拶をすると数分に渡り、島の話をしてくれた。

立ち去るきっかけが難しい。

公園に戻ると相変わらず先ほどのおばあさんがいる。

トイレに立ち寄ると、鍵が壊れていることを発見。

”ま、いいか”

すると、さっきまで日向ぼっこをしていたおばあさんがすぐ背後にいた。

「紙あるか?」

「あります。ありがとうございます」

もし本当に紙がなければ背後にいるおばあさんは

まさに天孫降臨をしたかの御方なのだが、

先ほど下見をした時にトイレットペーパーは確認してある。

鍵が壊れているドアを閉めると、ドアの外で再度、

「紙あるか?」

「‥‥大丈夫です」

明らかに親切心なのだが、

このような親切心にどう対応していいのか、今まで学んでこなかった。

「紙あるか?」に何度も答えながら、電光石火のごとく用を済ませた。

 

遠くに見えた薄いピンク色の建物が診療所だった。

真っ青な空と海にこのピンクはよく似合う。

病気という重苦しさを和らげてくれる。

延岡市立島裏診療所

延岡市立島裏診療所1

 

日曜日なのでシャッターが閉まっているが、

ずらりと加工工場が立ち並んでいる。

IMG_0696

島の女性の大多数が水産加工業に携わっていると聞いた。

その通りの外れにある自動販売機は、現在も使われている。

IMG_0695

 

数時間島を散策し高速船乗り場に戻ると、

20人ほどの島民が船を待っていた。

島浦島船

その中の一人のおやじが私のことを凝視していた。

無視をしていたのだが、

そのおやじは周りの仲間に何か私のことを話しているように見える。

まずチャックが開いていないか、ボタンを掛け違えていないか確認した。

”問題なし”

ではいったい何なんだ。

もしかすると「あの高貴さが漂う御方は誰なんだ」

と話しているのかもしれない。

または「借金こしらえてこの島を逃げたあいつじゃないか」

と話しているのかもしれない。

想像は無限に広がる。

「何なんですか?」と聞いてみたいのだが、

最悪のパターンは自意識過剰の独りよがりだった、という結末である。

結局何も聞かずに船に乗り込んだ。

 

今回の宮崎は、北部を中心に周ったが、

前回訪ねた椎葉村は幻想的な印象を残した。

たまたま「平家まつり」の前夜に訪れ、

松明を持った侍に付き添われた鶴富姫の粛々とした行列を観ることができた。

 

数十年前に霧島神宮を参拝した。

本殿へと昇る参道は薄靄がかかり、

この薄靄が晴れるとそこは高天原なのでは、と思ってしまう。

勝手な妄想だが、宮崎はまさに「神が降りたつ地」に相応しい。

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