諸行無常

異変に気づいたのは10年以上前のことである。

一週間沖縄に行き、自宅に戻り冷蔵庫を開けると、

そこには納豆が17個と牛乳が6本。

食材で冷蔵庫は溢れていた。

 

当時私は両親と3人で暮らしていた。

家が山の中腹なので買い物は私の担当だが、

長期で家を空けるときは。

母さんが宅配で注文をしていた。

 

食材の件を聞くと、

「あら、いけない」

と笑っていた。

 

しばらくすると、

宅急便が頻繁にくるようになった。

原因は親父である。

テレビの通販で片っ端から注文をする。

その年の年末は、

食べきれないおせち料理が届いた。

 

6年前に親父が他界すると、

母さんの症状はさらに悪化した。

 

デイサービスやショートスティを利用することで、

束の間の安楽の時間を得ることはできたが、

朝食と夕食は、ほぼ毎日作らなければならない。

助かったのは、同じメニューが続いても、

初めて食べたかのように、毎回喜んでくれる。

 

友人のサポートを受けながら、2年半二人の生活が続いた。

心は荒み、見えない今後への不安が襲う。

恥ずかしい話だが、

抑えようのない感情が周期的に湧きだし、

何もわからない母さんに、

暴言を吐いてしまうことが度々あった。

そのあとは、ひたすら悔恨の念にかられる。

 

泣いて嫌がる母さんを、施設に預けて3年半が過ぎた。

 

9月8日、施設から連絡があり病院に駆けつける。

10月初旬、主治医から念のために身内に連絡するように勧められる。

 

11月13日、長期療養型病院に介護タクシーを使い転院した。

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なんと凄い生命力。

 

ほとんど声を発することなく、寝たきり状態ではあるが、

見開いた目は、何かを訴えようとしている。

転院で一通りの検査後、ベッドの横に行くと、

怯えたいた目が、安堵の目に変わった。

 

数年前の修羅場が嘘のようである。

 

「お願いだから死んでくれ・・・」

 

この言葉が心によぎった時、

これ以上この生活を続けると、

母さんへの愛情が喪失すると思い、施設に助けを求めた。

 

しかし、今の母さんは小動物のようで愛おしい。

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先月ゲネプロメンバーで母さんの病院見学をした。

3つの病院を回り、満場一致で医療法人新光会伊豆平和病院に決めた。

 

宮島さんは、セントラル病院の案内をしてくれた女性が、

気になっていたようだが・・・。

 

伊豆平和病院は雄大な富士山を望む高台に建つ。

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景色も有効ポイントの一つではあるが、

案内をしてくれた広沢さんの穏やかな人柄が決め手になった。

 

医療法人新光会は神奈川に拠点を置き、

静岡、新潟に11施設を持つ。

 

伊豆平和病院は1978年に設立された。

医療療養病床120、介護療養病床49の施設である。

昼時に伺うと、モーツァルト、「ピアノソナタK331」が流れていた。

その前日は渡哲也の「くちなしの花」。

誰が何を基準に選曲しているのか・・?

 

母さんの部屋は4人部屋で、皆お揃いのピンクのパジャマを着ている。

入院の際は手ぶら状態で、すべての物を病院が支給してくれる。

私にとっては洗濯等の手間が省け、ありがたい配慮である。

院内の廊下を歩くと、開け放たれた扉からピンクのパジャマが目に入る。

多くの人がここで最期を迎えると聞いた。

 

女学生の母さんは、出征する兵隊のために千人針を縫った。

東京大空襲の翌日は、親友を探すために、

黒焦げた死体が散乱した中の焼け跡を彷徨った。

戦後、朝日新聞社に入社するが、

レッドパージで解雇となる。

そこには、一喜一憂した母さんの姿がある。

ピンクの人達それぞれが、同じように時代を生き抜き、

今、ここに集結している。

 

方丈記の冒頭の一説が頭に浮かんだ。

 

「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。

よどみに浮ぶ うたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。」

 

 

追伸:宮島氏の名誉のために

セントラル病院の女性についてだが、私と弥生ちゃん(齋藤学の妻)が

「宮島さん、あの女性に気があるんだ」と囃したて、

勝手に事実無根を既成事実にしたのであり、宮島氏は何も発言していない。

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