Ewenからの手紙

『Tokunoshima after party』 Dr.Ewen McPhee

福岡、徳之島訪問を終えて イーウェン・マクフィー(僻地総合医)

Tokunoshima after party photo

互いに国から数千キロも離れた地で、ふたりの医師が出会いました。ひとりは自国での挑戦の答えを捜して、もうひとりは自分の経験を他と共有したいと願って。

 

今年の4月、クロアチアでのことです。ドゥブロヴニクで開催されたWONCA(世界家庭医療学会)の自由闊達な僻地医療医師会議で初めて齋藤学医師に出会いました。彼はもともと救急医で、いまは総合診療医として働き、消化器内科や在宅医療のトレーニングも積んでいます。そしてさらに様々な医療システムから学ぼうと世界中を旅していました。我々オーストラリア医師は「ワイルドな一団」でしたが、齋藤医師は臆せずに我々の食事につきあい、オーストラリアに来る固い約束を交わしました。ダーウィンで開催される僻地医療学会への参加のさいに、我々のいるエメラルドを訪れるという約束でした。僻地の人々は、医療を受けようとしても高い壁があります。例えば広大なオーストラリアでは全てが遠く離れているし、日本には離島の問題があるし、クロアチアは戦争による荒廃があります。

 

エメラルドという町は、クイーンズランド州の州都ブリスベンから1000キロも離れた小さな町で、いちばん近い大きな総合病院まで300キロもあります。オーストラリアの他の町と同じく産業は牧畜や農業、石炭や綿花などです。またラジオなどを介した教育や学校、医療や行政の中心にもなっています。ここはまた、若く活気に溢れた町で、この地域の病院で年間400人が誕生していることからもわかるように子どもの多い町です。これは高齢多死を迎えている社会とは大きくちがうし、若者が都市へと出て行く日本の離島での状況とも違います。活気のある地域づくりに重要なのは、医療へのアクセスがいいことと、地域住民に信頼される良き総合医や看護師がいることだと私は思っています。

 

エメラルドも問題を抱えていた時期があります。2000年から2014年まで、産科が閉鎖されて地域での医療ができなくなり、出産は代診医やその他のサービスに頼ったりしていました。どのようにして僻地に住む人々の健康改善をはかるかというのは大きな問題です。オーストラリアでさえ、僻地に住む人々ほど冠動脈疾患や肺炎、慢性閉塞性気道疾患などの、予防可能なはずの病気にかかりやすいのです。また自殺は今も僻地の人々の大きな死因のひとつであるし、先住民アボリジニの健康状態は、我々に比して悪いことも危惧されています。若者が僻地の医師、看護師になるトレーニングに向かうよう励ますのは難しい問題です。オーストラリアがかつてそうであったように、これからの日本にとっての課題になるでしょう。

 

齋藤医師はこの答えをみつけようと、まるで聖杯を探すようにオーストラリアにやってきたのでしょう。クイーンズランド州には、僻地総合医という新しい専門分野があります。幅広い医療技術を有し、僻地や孤立した地域で働くという専門家です。僻地で育った学生が医学の道に入れるように、そして魅力的で質の高い経験が積めるように、特別なキャリアパスが作られています。こういった若い専門家は、産科や麻酔、外科、地域住民や先住民の医療といった総合治療に強みを発揮しています。このプログラムを施行したことで、素晴らしい医療チームが形成されることになりました。それは、しっかりと教育されたチームであり、またお互いを補うようなチームであり、そして、できるだけ自宅で、地域で医療ができるような専門的知識を有するチームです。

 

齋藤医師はトレーニングにも参加し、実際にこういった若い医師たちと、総合医としてプライマリケア(日常の総合診療)のルールなどについても話しあっています。齋藤医師は、このクイーンズランド州僻地総合医育成のプログラムを設計したデニス・レノックス医師とジェームズ・クック大学のセン・グプタ教授にも会っています。この僻地総合医育成のシステムは学会、行政、病院そして総合医の努力の賜物です。ACRRM(オーストラリア僻地医療学会)は僻地医養成の研修プログラムと、FACRRM(僻地指導医)になるための認定を作成しました。研修医は、FRACGP(オーストラリア総合診療学会の指導医)およびFARGP(専門研修の指導医)の認定も受けられる可能性があります。このプログラムのおかげで、エメラルドでは私をサポートしてくれる、産科に対応できる3人の若い専門家の女性総合診療医を確保することができ、お産に対応することが可能となりました。また、一般外科に対応できる総合診療医のおかげで、6人の総合医で麻酔科医のサポートを受けながら、一般的な外科手術や内視鏡もできるようになっています。彼らはみな専門性を持ちながら、総合診療医としてプライマリケアに従事しているのです。

 

オーストラリア中部、それにNRHA(僻地医療学会)を、僻地医療と情熱的に関わっている齋藤医師に視察の途中でみてもらうことができました。それから4か月後の今、私は日本での講演を終え、徳之島から福岡に帰る川崎重工のBK117の後部座席に座っています。最後の5日間は、僻地総合医のトレーニングと総合診療の重要性を説き、そして十分にトレーニングを積んだ総合診療医と看護師のみが、これからの高齢化社会と生活習慣病の予防に対応できることを繰り返し強調しました。

 

僻地総合診療の指導医であり、フライング・ドクターでもあるデイビッド・モーガン医師は、僻地医療について大勢の聴衆に語りかけていました。彼の小型飛行機による医療搬送の話は、専らヘリコプター搬送に頼りきっている日本の医師には新鮮だったでしょう。また、遠く離れた離島住民にとっては、ひとつの挑戦課題になったと思います。テレビ電話を用いた遠隔医療は、専門家のサポートが緊急時にも通常の外来でも受けられるので、これから日本が取り組む課題になるでしょう。

 

アリソン・カービー医師は、麻酔に対応する総合診療医で、現在僻地医療専門医を取得のため研修中の医師ですが、僻地医療に対する想いや今までの地域との関わりについて講演してくれました。彼女は大牧場で生まれ育ちました(後でわかったことですが徳之島と同じ広さの牧場です)。僻地で生まれ育ち、技術を身につけ、また地元に戻って貢献しているという意味でも、本物の僻地医です。彼女の熱のこもった話は印象深く、福岡や宗像の地でも多くの医療系学生に囲まれ質問攻めにあっていました。

 

アリソン、デイビッド、そして私の3名は、日本の豊かな文化にもどっぷりと浸かることができました。福岡では医師達に、人形を用いながら僻地医療に必要なお産や新生児への対応の仕方、眼科の診療などについて、実技指導をする機会もありました。熱心な医学生や医師、そして特に徳之島の医療を変えようとする地域住民には心揺さぶられました。日本の医療システムは、かなり異なっています。

 

徳之島には200床の規模の精神科病院を含め、3つの病院があります。エメラルドでは総合診療医がお産を取り上げるのに対し、徳之島では年間200例のお産に、2名の産科専門医が対応しています。医師の対応能力を高め、人口の少ない地域での医療費の問題を解決するには、その地域で総合診療医が活躍できる仕組みが必要なのです。

 

最後の懇親会で話しかけてきてくれた若い助産師さんのことが忘れられません。彼女は眼に涙を浮かべ、人生で一番大切にしていることは何かと尋ねてきました。我々の地域を守ること、そして我々の後に続く研修生を育てることがいちばん大事にしたいことです。これは齋藤医師も、そして日本で出会った全ての医師達もみな同じ気持ちでしょう。

 

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